孔版・シルクスクリーンの一種で謄写版といえばある年代以上の方にはすぐお判りでしょう。
2000年を中心にこの孔版で活躍した作家・・・須永高広
光、夢、過去、長閉な時・・・無限を秘めた沈黙する過去への道、闇への予感を孕みながら平凡に終わった平和な一日(作家コメントより一部抜粋)
抽象といわれるが私には心の風景であり具象にみえる
廃校の校舎からできる限りの謄写版をいただきその後の仕事に備えていると聞いていた・・・・・
最近ではタブローを主に制作しているようだが・・・
原因は版画の低迷にあると思われるが、個人的には残念に思う。
形・光と影にこだわった版画家 山中 現
個展にもしばしばお伺いし、作品も多く収蔵させていただいていますが
あまりお会いした記憶がありません
なぜか惹かれるその魅力にファンそして取り扱い画廊も多く一世を風靡した作家といえるでしょう。
その形の素直さ、色・マチエールの静謐さ、やさしさには定評があり気持ちの良い作品を多く作りました。
ただ、おとなしく変化の少ない作品が大量に出回るのには一抹の不安を感じていました。
1941年鎌倉生まれ・・・東京芸術大学山口薫教室出身・・・元愛知芸術大学学長の木版画家
まじめで誠実な紳士というのが第一印象です。
4人兄弟で2人が大学教授、お一人が医者、そしてご本人は後に学長
サロン舟の収蔵品の中には若かりし頃、キリストをテーマに描かれた作品も数点ありますが
人物、花、樹木ほとんどがモノクロの力強い版画作品で墨一色で描かれています。
画廊でお会いすると一種落ち着いた重厚感を静かに漂わせていらっしゃいました。
今日では美術の教科書も現代作品が多くなりましたが・・・
先生の版画が教科書に最初に掲載されたときは衝撃を受けた記憶があります。
元多摩美教授にしてベランメェー
面倒見がよく銀座の画廊にも頻繁にお見えになりよくお会いしました。
先生の教えを受けてデビューした版画家も数多くいます。
その作品は難しく怖い印象もあり顔見知りでありながらコレクションは多くありません。
同世代の他の先生と混同し『俺はクリスチャンじゃないよ』とか『お前は俺の作品をもっているのか』などといわれたこともあります。
また、『ピカソにならい多作を心掛けたが作品が多すぎて価値が上がらない』とも・・・
版画技術に対する挑戦も多彩で簡便で版画に親しめる木版リトグラフを生み出し、
その普及のためにお弟子さんたちと共に全国を回られていました。
思い出深い作家の一人です。
「難しい哲学的な方」私が受ける北川先生の印象です。
駒井哲郎先生に指示し版画にのめりこみ・・・
棟方志功、池田万寿夫、クリムト、ジム・ダインなどの称賛を受けて作家活動を続ける。
昭和の一時期、玄人の間では一世を風靡した作家といえるでしょう。
版画の他、油彩画、オブジェ、写真、詩、評論も手掛けた多彩な先生です。
西洋の風景、室内、人物をモチーフとした作品が多くその生活感や人物像の表現は素晴らしいものです。
ランボーの作品を見て先生のコレクターになりました
加納光於先生はウキペディアによると1933(昭和8年)東京神田生まれ
滝口修造、大岡信、澁澤龍彦などとの交流や仕事も多く、版画・絵画において実験的手法により独自の世界を切り開いたとなっています。
いわずと知れた現代美術界の大御所で紫綬褒章・旭日小綬章も受賞されています。
初期のモノクロインタリオ【星・反数学】カラーメタルプリント【ソルダードブルー】その後のカラー作品デカルココマニーなどに魅せられてサロン舟のメーン作家のおひとりにさせていただきました。
エネルギッシュで精力的な先生との印象が残っています。
山口啓介さんは1962年西宮市生まれ、ウキペディアによると日本の美術家となっています。
圧倒的な迫力のある大型ディープエッチングによる版画により
鮮烈なデビューをしました。
画廊でお会いする精力的な姿に精悍さを感じたのを今でも覚えています。
方舟や王の墓などをテーマにした初期モノクロ版画から原発・原爆などをテーマとしたカラー版画、絵画・・・カセットケースなどを使ったメッセージ性の強い作品まで多彩な活動をしており現代美術家といわれるゆえんと思います。
大物美術家の一人に成長していただきたいと思っているファンも多くいることでしょう。
佐竹邦子さんは現在多摩美術大学の教授をされています。
若いころの風分子をテーマとした流れるような大胆で迫力があるカラー版画は素晴らしく心に迫るものでした。
数年前にお話しした時にはその教育にかける想い指導力に感心したことを覚えています。
大学の先生になると自らの制作発表は少なくなるのが作家の常ですが・・・
佐竹先生も精力的な作家活動が少なくなったようです。・・・
コレクターとしては残念なところもありますが仕方のないことかもしれません。
昨年末の久しぶりの個展は見逃してしまいましたがご活躍を期待するところ大の作家です。
朴再英さんは韓国の美大を卒業後、芸大に進まれ日本で作家活動を続けられています。
ある有名温泉地のホテルのオーナーとご結婚され本来なら若女将に納まるところですが精力的に作家活動を進めています。
水性木版を主に手掛けていますが最近では版画による立体制作にも意欲を燃やしています。
タブローに負けない版画をという私の影響もあるのかな?
サロン舟のオープニングにも来ていただいたこともあり、私の注目作家のひとりで、結婚後もプロとして活躍されている女性芸術家の数少ない一人で、大きな作品を刷るときにはバレンをもって駆け廻るとか・・・・・
内に秘めたバイタリティは相当なものを感じます。
相笠正義さんは1939年東京日本橋に生まれ、東京芸大卒業
主に銅版画を作られ数々の賞を受賞、油絵では新人の登竜門といわれた安井賞も手にしておりその作品は多くの美術館に収蔵されています。
文明嫌悪症や滞在されたスペインでの作品、日常生活のひとこまを描いた作品が有名で時代の世相や問題点、人間の本性をえぐりとるような感性には素晴らしいものがあります。
大衆受けはしませんが玄人の間では評価の高い作家です。
一見とっつきにくいおじさんでしたがキリスト教にも造詣が深く多摩美の教授も務められました。
お会いするたびに真摯な制作態度を感じる作家でした。
吉田勝彦さんは1947年東京都に生まれ、多摩美卒業
銅版画家として活躍し数々の受賞をかさねビュランの名手と言われました。
残念ながら近況はわかりませんが、すでに筆を折られているかもしれません。
活躍中も目に障害を受けレーザー治療で復帰したという経歴もあります。
自ら一本の線もミスすることはないというほど、その技術は素晴らしいものでした。
一方、環境に左右される傾向も強く、住む場所と自分のテーマがあった時の作品は素晴らしいものでした。
私の住む街の今はなくなった操車場や小さな川や港の風景も多く描いており、ご一緒にお酒をいただいた思い出のある懐かしい作家です。
元気で活躍されているとよいのですが・・・・・
重野克明さんは1975年千葉市に生まれ03年東京芸大修士課程版画科専攻を終了し、主にエッチングによる版画を制作しています。
そのエッチングの技術は素晴らしいもので久々の本格的エッチャー登場と言われ数々の受賞を重ねました。
版画の不遇な現代にあって一時タブローを発表したりと、迷いの見られた時もありましたが、再び素晴らしいエッチング制作に目覚めその評価はじわじわと上がっており近年は老舗デパートの高島屋での作品発表が多くなっています。
思いいれの強い性格のようで時に凡人には見えなくなるほどふき取ってしまい何を書いているかわからない作品もあったり、作品のエディションは掛布の背番号である31にこだわったりしています。
版画科としての技術、センス、才能に恵まれた素晴らしい作家と思っています。
かつての版画王国日本を担う作家として大成を期待しています。
富田菜摘さんは1986年生まれ、2009年に多摩美術大学を卒業し、主に金属廃材などを使用して動物などの立体を制作しています。
一方、その時代の新聞紙やグラビアを使ったメッセージ性の強い人物の立体にも見るべきものがあります。
冨田さんと初めてお会いしたのは、07年ギャラリーユマニテでの初個展の時で、いきなり自分の作品である亀にまたがったのにはびっくりしました。
当時まだ学部に在学中で、多摩美の学園祭に夫婦でお邪魔したりもさせていただきました。
そのセンスと技術は素晴らしいもので、ありふれた廃材から人を納得させる生き物を次々と誕生させる技はもって生まれたものでしょうか。
30歳になられた今、デパートはもちろ公共の施設やこども美術館などを中心にひっぱりだこの活躍をされています。
横山貞二先生は1952年愛知県に生まれ、76年武蔵野美術大学を卒業され木版画を制作されています。
その制作態度は愚直までにのめり込むタイプのようで、版画家でありながら発表が終わるとすぐに次の作品に進んでしまい、売れた作品の刷りをせずに半年一年もたってしまいキャンセルされたり、画商さんともめたりしていました。
それほどの芸術家魂が強かったということです。
いざ刷りを始めても、途中で全く違う色に変えたり、同じ作品でありながら一点一点まるで違う刷り上がりになる作品がほとんどでした。
それだけに、その色形は魅力あふれるものが多く目が離せない作家です。
子供が出来て大分大人しくなりましたが、コレクターとしてはあまり落ち着かずに馬鹿が付くほどの愚直な作家魂を持ち続けていただきたいと思います。
門倉直子さんは1977年千葉県に生まれ、文化学園芸術専門学校卒業後、千葉県柏市を中心に活躍されていました。
ニッポン文化のキーワード「かわいい」のジャンルにつながる作家ですが、若手の女性作家の活躍が目立つこの分野では少しお姉さまの域に入ります。
その分、プロ根性もあり精力的な制作を続けており、コレクターとしては安心感のもてる画家と言ってよいでしょう。
すこし能天気なところもあり、作家自身が営業をすることの多い昨今の風潮からすると貴重な作家で自分の作品のコレクターの名前や顔を知ろうとしないようなところもあります。
その分制作に打ち込むという性格のようで、私の好きな画家のタイプに入ります。
描かれている若い女の子はただかわいいだけではなく、みる人の心に突き刺さるような鋭さを持っており訴えかける力を持っています。
アートアイガ、ギャラリー椿という画廊がついているほか、発表の場も増えておりこれからの成長が楽しみな作家です。
柿崎兆先生は1953年山形県に生まれ、81年に多摩美を卒業され
て81年日本版画協会の山口源新人賞を受賞されました。
山口源賞は当時新人の登竜門ともいえる版画の賞で、柿崎先生も
以後、大変な売れっ子作家に成長されました。
どこにも属さずフリー版画家として、ギャラリー21+葉、武者小路、
77ギャラリーなどの個展を中心に発表を続け、1回の個展で数百
点の作品が売約となるのもたびたびでした。
静謐な画面と奥深い抒情的な色彩にはとても魅力があります。
そのナイーブすぎる性格から10年ほど、作品が作れないというブラ
ンクがありましたが、昨年から再び制作を開始し個展を開きました。
10年もの新作未発表の期間があったにもかかわらず、作品の流通
価格は、昨今の版画市場にしては一定の水準を保っており今後の
活躍が期待されるところです。
河内成幸先生は1948年生まれで、長い間多摩美の教授をつとめ
られ、2011年春の叙勲で紫綬褒章をいただいています。
その作風は緻密で大胆、行動力にあふれ若い頃は精悍さを感じさ
せました。スペイン帰りの作家の言った「日本にもこんなすごい作家
がいたのかと思った。」という言葉を今でも思い出します。
1970年から2000年にかけては国内はもちろん海外のビエンナーレ、
トリエンナーレでも数々の受賞を重ね、その迫力には驚かされまし
た。
木版リトグラフによるその作品は、大判が多く技術力に裏打ちされた
構成力・表現力は人を魅了する力を持っています。
先生の情報はネットでたくさん見られますので
河内成幸で検索してください。
高橋潮先生は1944年 福岡県に生まれ、武蔵美卒業後 1973年
より春陽展に出品しています。
私が、初めて自分で選んだ作家が高橋潮です。76年制作の 「灯」
という、軽く両手を合わせた中からあふれ出る灯りを見 つめる少女
の描かれた、当時はまだ稚拙だったカラーメゾチ ントの作品に魅せ
られたのが始まりでした。
最初はモノクロの心象的な作品が多かったようですが、カラー の少
女を描いて人気をとり、やがて洋装の婦人から和装の婦 人へとテ
ーマを変化させながら誰からも愛される作家へとなり ました。
先生の情報はネットでたくさん見られますので
高橋潮で検索して下さい。
斎藤カオル先生は1931年神奈川県の葉山に生まれ、68年メゾ
チントの銅版画を独習ではじめられ、高橋潮の師匠格にあたりま
す。
私が、初めて購入した版画が斎藤カオルのメゾチントの作品でし
た。マニエノワールともいわれる、漆黒の闇の中から光を紡ぎだ
すその技法は、とてつもない時間と根気のいる仕事だそうです。
モノクロメゾチントで少女や心象風景などの作品を数多く手がけ
た後カラーも取り入れ、源氏物語に取り組まれ10年がかりで10
冊の画集にまとめられ完成されています。
まだ若い頃、メゾチントの版画に夢中だったのを思い出します。