徒然の記(絵と花とetc.)

         お知らせ

版画の話・絵の話に引きつづき徒然の記(絵と花とetc.)をご愛読いただきありがとうございます。

徒然の記は2014年4月1日より、生け花関連の話を中心に池坊東京緑泉会支部のホームページのなかで「徒然の記(いけばな日記)」をメーンに掲載させていただきます。

絵の話はこの欄に、時々のせていく予定でおりますので、たまにはこちらもご覧ください。

             池坊東京緑泉会支部「徒然の記」

 

 

   その180 2018/5/4

ゴールデンウィークを利用して絵の架け替えをしました。

女性作家の作品展示が続いたので今年の常設展は男性作家に絞りました。

70年代80年代にいわゆる中堅から大家として活躍した先生方の版画の展示です。

現代美術系の中堅作家の作品に並べ日本画大家の版画も展示してみました。

意外と違和感なくうまくまとまったと思います。

サロン舟のコレクションは具象系、現代美術系に加え、60~80年代に活躍した主要作家の版画を網羅することを目指していたのです・・・・・もちろん若手作家を応援することが第一の目的でしたが・・・・・

 

   その179 2016/7/18

珍しく6日間の連休でした。

この期間に絵の架け替えを行う予定でしたが、雨の日の続くこの時期大型の裸で展示中の作品は伸びてたるんでいます。

残念ですが80パーセント近い湿度の中での架け替えは、外した作品の置場にも困るので架け替えは断念しました。

次のチャンスを待つことにします。

 

   その178 7/12

連日、雨の降る梅雨の真っ最中ですが、架け替えを断行しました。

湿度が高い為、外した版画は湿気を含みずっしりと重くそのままではしまえませんので、梅雨が終わるまでこのまま小ギャラリーに立てかけておきます。

今年の常設展はまだ展示したことのない思い切り大きな版画をと思いましたが残念ながら、荷物で一杯の我が家ではとても無理だときずかされました。

それでも、戦後現代美術系の比較的大きな作品を並べると点数はわずかですが、意外としっくりおさまりました。

こうしてみると、60~70年代の作品はやはりすごいと改めて思います。

日本の作家が世界中のビエンナーレ、トリエンナーレで次々と受賞を重ねていた時代です。

あの頃、今のようなクールジャパンなどという政策が強力に推し進められていたらどうなっていたでしょうか・・・

現在、具体やもの派の作品が世界で再認識されつつありますが、もっともっと広がりを見せてくれるのを願うばかりです。

そして何よりも、日本人が日本の芸術の素晴らしさにもっと気が付き行動をおこす必要があります。

芸術・文化の面でも日本人よ頑張れです。


   その177 6/18

駆け足でしたが東京オペラシティのアートギャラリーで開催されている

高橋コレクション展ミラー・ニューロンを見てきました。副題は日本の現代アートがここにあるです。

精神科医の高橋さんのコレクションです。私のイメージとしては、氏は彗星のごとく現れた大物コレクターで、あっという間に日本の現代美術を網羅するコレクションを築いてしまったという印象があります。

草間弥生に始まり、奈良、村上、そしてその前後の作家をカバーした内容はすごいの一語に尽きます。尊敬すべきコレクターの一人と言えます。

身震いするような作品を何点も見ることができました。

同時開催の寺田さんのコレクションも見ごたえがありました。

奥山民恵、有元容子、岡田伊登子の3人に絞られた展示でしたが、とくに岡田の作品の充実ぶりには、こんなにあったのという感じです。

傾向は違いますが、お二人とも今の日本には珍しい希有なコレクターと言えます。


    その176 6/9

またまた、富田菜摘情報です。

約45年ぶりに、新宿中央公園へ行きました。

うっそうと茂る公園の北西部に、新宿区民ギャラリー、エコギャラリーがあり、富田菜摘さんの廃材で作られた動物たちが展示されていました。

大きなサイや亀、南洋の鳥,牛の親子?、から~可愛い小鳥、猫、猿、蛇、蜘蛛、家守に至るまで、まるで動物園のような生き物のオンパレードです。

天井の高い広い空間をいっぱいに使い、動物たちがそれぞれの居場所を見つけて佇んでいます。

今や、引っ張りだこの富田さん、その技術や発想にもますます磨きをかけ、大活躍といったところです。

可愛い風貌からは想像できない、あのパワーはどこにあるのでしょう・・・・・

 

   その175 3/9

この欄には久しぶりの書き込みです。

3月20日まで京橋のギャルリー ユマニテで富田菜摘さんの個展が行われています。

「平成浮世絵-役者舞台之絵姿-」というタイトルですが、AKB48、嵐、エグザイル、吉本、宝塚などのタレントが、テーマに合わせたグラビアや雑誌の切り抜き等により、浮世絵風のレリーフになっています。  

テクニック的にもますます完成度がまし、今日的なメッセージ性も充分で見ごたえのある作品が並びました。

応接室にはいつもの金属廃材による動物たちや人物の立体も並んでいます。

私も会期前の空振り(まだ作品が届いていなかった)も含めすでに4回足を運んでいます。

多摩美の学部在籍の頃からたびたび作品を拝見し、卒展や、学園祭にもお伺いしており、子どもを見守る親の心境です。

富田菜摘作 「平成浮世絵-役者舞台之絵姿-」より          ミクスドメディア
富田菜摘作 「平成浮世絵-役者舞台之絵姿-」より          ミクスドメディア


   その174 2015/1/24

月刊美術の最新号は版画特集です。

巻頭の手の込んだ版画作品では山田純嗣が大きく取り上げられていました。

例の立体パーツをたくさん作り、それを並べて写真にしたものを、さらに版画にするという手の込んだ作品です。

版画もここまでやらなければいけない時代になったのかと思っていましたが、認められる時が来たのでしょうか。

中間には重野克朗も数ページにわたって取り上げられており嬉しくなりました。

この他にも出入りの画商さんの扱う作家も多く、そろそろ版画にも陽が当たる日が来るといいのにという気持ちでいっぱいです。

帰りの電車内では、偶然、小野真知子さんのモード学園のポスターを見つけました。テレビCMをはじめ1年間小野さんの作品が使われるようです。

小野さんの作品はいまいちイラストっぽさが強く、私としてはまだ芸術作品としては完全に受け入れていないところもありますが、すごい作家のひとりとして期待しています。


   その173  12/18

プライベートギャラリーの展示替えをしました。秋からの展示はきちんとテーマを絞り気合を入れて行う企画展です。

今年の企画は横山貞二の木版画、1980年頃の最初期から2010年頃までの30年間の作家の軌跡を見せる展示です。

あらためて自分の選んだ横山の作品を眺めてみると多彩な作家の側面が見えてきて再認識されます。

モノクロに近いものから、油絵の具のような重厚な色をカラフルに使い分けた作品、愉快でなるほどと思わせる形はまさに色の魔術師・形の天才と思わせるところがあります。

愚直に、ただ版画だけを作り続ける作家のひたむきさが感じられ応援せずにはいられないという気持ちにさせます。

これからも、今どき珍しい愚直な版画家であり続けて欲しいと願っています。


   その172  12/12

本屋さんで有元利夫の本を見つけました。

新潮社のとんぼの本のコーナーに「有元利夫 絵を描く楽しさ」という本が並んでいました。この本自体は以前購入し読んでいましたので内容もよく覚えているのですが、久しぶりに有元と出会えたようで感激しました。

40年近い画廊めぐりの中で一番身近に愛した作家が有元利夫です。

長い浪人生活の末、やっと入った芸大、電通勤務を経て、画家として独立後は瞬く間に売れっ子作家となり、38歳で脇の下に生えた羽根で天国に飛び立ってしまいました。

谷中での生活、制作の話、音楽部で1人チェンバロの個人教授を受けた様子(デザイン科なのに)など朴訥に話してくれました。

遠い存在の超人気作家になってからも、たくさんの取り巻きの向こうにいた私などに、遠くから挨拶をしてくれました。

38歳という短い生涯、10年足らずの作家人生、残念な別れでしたが、私の心の中にはいつまでもはっきりと残っています。

 

   その171  12/6

花の仕事も一段落し画廊散歩に出かけました。

11月は二度の京都入りを含め、あわただしく絵を見るのもままなりませんでした。

77ギャラリーでは重野さんが月曜からの個展に向け飾り付けの真っ最中でした。

今回の個展は、いろいろな作品が並べられ、とても楽しそうな感じです。

その中で一つ、紙の銅版画?について作家にお聞きしました。

厚紙を直接ひっかいて、油性インクをのせ溝に入ったインクをプレスで紙に写し取ろという技法・・・  小作教室では木版によるリトグラフ、木リトをやっていましたが、これは紙による銅版画、紙版とでもいうのでしょうか、なにか簡単に普及できる版画の世界がありそうな気がします。

資生堂ギャラリーではアラーキーの再生に向かう個展を開催していました。

何時もの荒木の写真展とは違う、重い内容のある写真展です。

毎日撮り続けた東の空を上段に、銀座の日常風景を下段に、それぞれモノクロで、額なしのピン止めという展示です。

パラダイスというコーナーには朽ちていく花と人形が原色で並べられモノクロのコーナーとは対照的な構成です。

東の空は立体感と広がりのある雲が迫力あり、人生・・・・・これからの希望を感じさせる展示でした。

椿の山本麻友香展、ユマニテの落田洋子展などを覗き、直線的な照明の規則正しい風景の中を駅まで帰りました。

銀座とは違う京橋の佇まい・・・・・好きな風景です。


   その170  10/14

八丁堀のアートアイガさんで、門倉直子さんのグアッシュによる個展が開催されています。

木炭を主にした作品が40点ほど出品されており、狭い会場は壮観です。

門倉さんの作品は、近年、油絵も完成度をましよくなってきましたが、私は木炭画が好きです。

門倉さんの木炭画には油絵にはない、くささやらしさを感じ人間味というか、親近感を感じます。心に訴えかけてくるようなものがあるからです。

油絵もそうなのでしょうが、門倉さんの想いが木炭画の方がより伝わってくる気がします。

これからも、奇をてらわずにナイーブな心を堂々と表現して行っていただきたいと思います。

 

   その169  10/4

時間が出来たので、ぶらりと画廊散歩に出ました。

4~5軒回った画廊の中で、ユマニテlabで行われていた北川香乃花展に興味を持ちました。

等身大の大作6点が並べられており、すべて自画像です。

ちょっとレトロな服装で、会期中6日間、本人が絵に描かれている服を着て会場におられるとのことです。

今日は調度、案内状と同じオーバーオールのデニムでした。

多摩美の大学院生とのことですが、本人はかわいくおとなしそうな感じなのに、作品の女性はとても存在感がありました。

このちゃんの着せ替え・・・ パフォーマンスも感じる面白いものでした。

 

  その168  9/23

およそ10ケ月ぶりに展示替えをしました。

2~3月からの忙しさと、夏の暑さ、天候不順もあり今になってしまいました。

ここ数年は版画の虫干し(?)もさぼりがちです。

秋の企画展までのつなぎということであまり力が入りませんが、頭に描き予定していた展示の半分ほどですが実現させました。

門倉直子さんの作品を中心に、若手女流作家の油絵とデッサンを主にしての構成です。

門倉さんはいづれ個展形式の企画展を考えていますが、今回は顔見世といったところです。

しばらくはお花中心の生活が続くため、画廊散歩も滞りがちですが門倉さんや富田さんのなどの作品は確実にチェックしていきたいと思っています。

 

  その167  9/6

久しぶりに定例の画廊散歩コースを回りました。

京橋のアイガさんから日本橋の不忍さん、京橋のユマニテ、ギャラリー椿さんそして銀座の77さんです。他の画廊はどこも入らずひたすら行きつけの画廊だけに絞り、浮気はなしです。

アイガさんでは其々のおたくさんの話が参考になりました。

展示はなんといっても不忍の山田純嗣さんの何とも手の込んだ版画というかタブロー的作品には驚きでした。中でもモネの睡蓮の立体パーツを作り構成したものを写真にし、転写したものに版を刷り、手彩などを加えて完成させた作品はよかったです。

ユマニテでは富田さんの人物7体に出会うことができ、椿では薄・尾花の話にドキッとさせられ、77では新しい酒と蕎麦情報を仕入れてきました。

とりとめのない内容ですが、詳しくは東京緑泉会のホームページ・徒然の記9/6~8をご覧ください。

 

   その166  8/4

今日は多摩川を超えあざみ野のアートフォーラムまで足を延ばしました。

東急田園都市線に乗るのは10数年ぶりでしょうか。

私鉄沿線にはそれぞれ独特の雰囲気があるように感じます。行きはのんびりと鈍行で、かえりは急行に乗り渋谷乗り換えで京橋に出ました。

あざみ野では3人の作家が、それぞれの部屋に子供も大人も楽しめ参加できる展示をしており夏休みにはピッタリの企画でした。

富田菜摘さんの部屋には廃材で作った大きな動物が展示され、亀にまたいで動き回れるコーナーもありました。新しい動物も次々と生まれており興味芯々です。

2Fには子供の撮影した写真がたくさん展示され、それぞれの作品に添えられたコメントを一つづつ読んでいると、子供の気持ちが感じられ嬉しくなりました。

京橋で行われているギャラリー椿オークションも天井から床まで600点以上の作品が並べられ壮観でした。

この中から好みの作品を探し出すのは大変です。

 

   その165  7/17

久しぶりの画廊散歩に出かけました。

北村奈津子、岩淵果淋そして横山貞二の個展、山田純嗣のグループ展など見なければいけない展覧会が重なったためです。

15時に錦糸町で用事を済ませた後、京橋から銀座を経て、今日は汐留のパークホテル東京まで足を延ばしました。

個展ではそれぞれの作家の力作が揃い、秀作も何点か含まれており、まずまずの展覧会でした。今後に期待が持てます。

パークホテル東京では、アートホテルとして日本の美を発信し、営業にもつなげるという試みをしています。

25Fの天空のアトリウムでは四季の展示をしており、今回はホワイトサマーというテーマで白を基調とした5人の作家の作品を展示し、レストランでもそれぞれイメージにあったメニューを提供していました。

アーティストルームの展開も現在6部屋程できているようで、3年後にはワンフロア-31室のアーティストが手がけた部屋ができる予定とのことです。

こうして「日本の四季」「日本の美」を世界のお客様に提供していくのは素晴らしいことだと思います。

34Fまでの最大級の吹き抜けでライトアップされた東京タワーの臨める25Fのアートラウンジでしばしゆったりとした時間を過ごしました。

 

   その164  6/29

以前は美術専門誌を数誌とっていましたが、引退コレクターとなった今は毎月末、本屋さんで立ち読みし最近の動向をチェックする程度です。

先日、椿原さんのブログに扱い作家の平野栄作さんの作品がアートコレクターの表紙になっていると書いてありましたので、レッスンの合間にのぞいてきました。

DMにも使われており私も気に入っていた作品です。

今月のアートコレクターの特集はヌードがテーマで、和洋古今現代までのヌードを描いた作品が取り上げられていました。

私がコレクターになり始めた頃は、画家であるならば裸婦を描けなければ一流ではないという考えがあり、加山又造さんの裸婦もその流れの中で挑戦されたものと考えられていました。

それほど重要だった裸婦もそしてデッサンも現在ではとかく軽視されがちのようです。

若い作家さんには、やはり基礎は確実に身につけ歴史もきちんと学んでおいてほしいと切にお願いします。

 

   その163  6/2

サロン舟のアイドル猫のジュニアが、早朝5時半に返ってきました。

昨日7時半ごろから失踪中でした。

ジュニアはハーネスとリードを付けての散歩以外、一度も外に出たことがありません。おまけに毎日朝晩、心臓と甲状腺と血圧の薬を飲まないといけません。

警察、保健所、ペットドクターに届け、ポスターを作り電柱に貼りご近所をまきこんでの大捜索網を張ったのですが深夜12時を過ぎても見つかりませんでした。

今早朝、散歩中の近所の人が門の前でうずくまっていたのを見つけ連絡してくれました。

中には涙を流してくれる方もおり、ただただ感謝です

外の世界にあこがれてちょっとした隙に出て行ってしまったようですが、これからは十分気を付けなければと思っています。

 

   その162  5/30

ホームページの更新を終え、午後 京橋から銀座に出かけました。

ユマニテの若林展、椿の門倉直子展を見るためです。どうしてもお花の方の事務処理に追われてしまい、画廊めぐりは後回しで駆け足になってしまいます。

若林の銅版を削って絵の具を詰め込んだ29枚の作品は、もともと一つに束ねられた作品のようで1枚づつ並べて展示されるのは今回が初めてとのことです。

どういう想いでできた作品なのか、改めて全体を見渡すとすごいといった感じです。

門倉の展覧会では墨を使ったものや動きのある作品も多く出ていました。

並べられた少女の肖像の多くは目がよりめです。作家曰く、街角や電車内の観察の結果ということです。

偶然同席したマスコミ関係の方たちの話では、二重あごに寄り目はスマホばかりのぞいている結果だとのことです。

この他にもスマホや自分だけの狭い世界に入り込む生活態度からはいろいろな弊害が顕在化してきているようです。

最近の若い子と最近のトイレ(設備や機器)の話で盛り上がった画廊散歩でした。

 

 

   その161  5/13

レッスンに入る前、新宿高島屋10F美術画廊で行われているPainting/Figurativeを見ました。

いづれも人物表現を主題にする4人の比較的若い作家のグループ展です。

同じ人をテーマにしていますが、作風や表現法は全く違い、それぞれ完成度は高く高感度の作品が揃っていました。

私のお目当ては山本麻友香さんでしたが、いつもの水色やグリーンはこれまでよりもトーンが落とされ落ち着いた静かなたたずまいを感じさせるものになっていました。隣がアニメ風の派手なのや強い作品が多かったので余計そう感じたのかもしれません。

他の3人の作品も味のある良いものばかりでした。

 

   その160  5/12

またまた花展の流れで、京橋のギャラリー椿さんだけ行きました。

真条彩華さんと横田尚さんの個展が気になっていたからです。

どちらも私の好きな作風なのですが、今ひとつ乗り切れなかったお二人でしたが、改めて見てみるとかなりいいかもという気がしてきました。

真条さんの作品は絹本に描かれており一癖あるが綺麗な日本画です。

横田さんのもこれまた一癖ありますが、かわいい女の子と金魚が描かれています。

どちらも完成度の高い作品は品もある好ましいものです。

これからが楽しみなお二人です。

 

   その159  5/10

花展を見学した帰り、六本木の湘南台画廊だけ覗いてきました。

奥の部屋で個展を、手前の部屋では3人展をしていました。

高木まどかさんの名前が気になっていたので、駆け足でしたが足を延ばしてみました。

高木さんの名前はギャラリー椿さんでも扱っている関係で、よく耳にしていましたが、作品はあまり記憶にありませんでした。

最近はキャンバスに刺しゅうを施したうえに、アクリルや鉛筆を使用して書いているようです。内容はとても賑やかでまるでお祭りのようですが、小品の出来はなかなか良かったです。

他の3人も勉強中の感じでしたが、それぞれ研究された力作ぞろいでした。

それにしても大江戸線は深いですね・・・・・

青山1丁目から歩くつもりでしたが、駅員さんにかなりありますよと言われ大江戸線に一駅だけ乗りましたが、地下深く潜ってまた地上に出るのを考えたら、やはり歩くべきだったかななどと思ってしまいました。

 

   その158  4/24

新国立美術館で開催されている春陽展を見に出かけました。

昨年春陽会賞を受賞した川野美華さんの作品を確認したかったからです。

連続受賞とはいきませんでしたが、満足のできる作品が出ており安心しました。

春陽展は版画部が充実していたので、以前は毎年見学していましたがこのところ足が遠のきがちでした。

版画も入れると1000点は出ていたでしょうか、それなりに力作ぞろいで盛況の感はありましたが、特別目をかけたい作品には出会えませんでした。

帰りに寄った日本橋の不忍画廊では長谷川利行のまぼろしの大作や斎藤真一の古い作品も見ることができました。

池田万寿夫の80年代の作品も今あらためて見ると新鮮で洒落た感じがしました。さすが世界の池田です。

 

 

   その157  4/17

美島菊名さんの写真展を見に六本木ヒルズのA-Dギャラリーに行きました。

大きなガラスコップに入った女性や発泡スチロール風のトレイに横たわってラップのかけられた女の子、工場裏の廃線でポーズする若い子等、シチュエーションに凝りに凝って、作品よりも仕掛けにかかるお金の方がはるかに多いのではと思わせることを平気でやってしまう女性写真家です。

若い女性としての想いをこめているのでしょうが、作品の仕上がりはあくまでも綺麗で嫌味がありません。

これまでの全貌がうかがえる展覧会です。これからも暖かい目で見守っていきたい作家のひとりです。

銀座では、磯見さんと柿崎さんの版画の二人展を見ました。柿崎さんの作品は、作風がだいぶ変わってきてこれからの展開によう期待といったところです。

磯見先生も大学を退官され肩の荷が下りたのでしょうか、作品も軽めになり自然に馴染める作品が多くなりました。

教員生活ご苦労様でした。先生の退官を機に実現した師弟展ということのようです。

 

 

   その156  4/5

久しぶりにギャラリー散歩に行ってきました。

長年懸案にしていた、桜の咲く青山霊園の散策です。

今年もダメかと思っていましたが、南舘麻美子さんからの六本木湘南台画廊での個展の案内をいただき出かける決心がつきました。

六本木から新国立美術館により、青山墓地で桜を堪能した後、根津美術館・青山・表参道を通り原宿に抜けるコースです。

少し散り始めの桜は最高でした。入り組んだ参道のあちこちに桜並木が展開し、緑との調和も見事で桜の花越しに見る都会のビルも乙なものでした。中でも圧巻は、やはり六本木ヒルズでした。あの景観はやはり絵になる構図です。

お墓参りの人に紛れて墓地の中をあちらこちらと歩き回り楽しんでしまいました。

南舘さんの作品は、1点の油絵をのぞきすべて凹版メデゥウムはがし刷りで私の好きなものでした。自画像とすぐ分かる顔も少し大人になり、柔らかさを追求しているようです。軽くなってもピタッとした完成度を保つ作品が出来ればなかなか面白いような予感がします。

一人前の作家に成長されることを祈っています。

 

   その155  3/27

雨の中、深大寺の元三太子までお参りに行ってきました。

年一回の年中行事ですが、昨年は2月に、今年は3月にしました。

本当は、節分前に行かなければいけないのでしょうが、昨年から1か月づつずらしています。深大寺植物園の植物たちの変化を見たいためです。

今回は、椿や梅の名残に、桃や早い桜に加えてカタクリなどの山野草もたくさん鑑賞することができました。

片手に傘を持っての撮影でしたが、3月に咲く植物をたくさん記録に残すことができました。3月といえば桃というイメージがありましたが、桃の名所桃源郷に出会うことはなかなかできませんでしたが桃園の桃は数は少なかったですが満足のいくものでした。

お参りでは、ある私立中高校の柔道部の必勝祈願の女学生の集団と一緒でした。ちょっと意外でしたがほほえましい感じもしました。

講話では、雨の話から、雨も風も地震も、それぞれなくなってしまっては不都合が生じるという話から「自他平等」「共存」「お互い様」ということで、互いに認め合って生きていかなければならないという話をされました。

学生さんを意識されたのでしょうか、若い僧侶だったせいでしょうか、例年になくまじめな話が多く、それなりに聞き入ってしまいました。

人間、たまにはこのようなためになるお話を聞くのもよいものと改めて感じました。

 

 

   その154  3/8

銀座の1本裏通りを歩いてきました。

偶然、気になる展覧会がそんな場所に重なったからです。以前はよく通った道です。

数寄屋橋公園の横を抜けギャラリーセンターから7丁目へ、大通りを渡り旧松坂屋の裏から、三越・松屋の裏を通って京橋まで・・・・・・・・

いくつかの画廊をのぞきながら、ここには池田さんの店があった、ここの上にはワールドアートさん、もう一本裏に行けばかわせみ画廊があるなどと思いながら歩きました。

行く先々で、今日はアートフェアですかと声をかけられ入場パスの話も出ましたが何故か積極的に行く気にはなりませんでした。

京橋では初めてLIXILギャラリーに入りました。良い企画をやっているような感じはしていたのですが、なぜか、企業のコマーシャル画廊の臭さを感じ今まで入ったことはありませんでした。

ブルーノ・タウトの建築資料と工芸作品、セラミックのオブジェ、テラコッタに白く彩色した女性の立体の3つの展覧会でしたが、なかなか見ごたえのある良い展覧会で私好みの展示でした。

これからは時々寄ってみようと思った次第です。

途中、古くから顔なじみの年配のコレクターお二人と同席したりして感慨深い画廊散歩となりました。

なじみのコレクターさんたちも、年々、出てくる回数が減っているようでお会いする機会も貴重なものとなってきています。

 

 

   その153  3/6

昨日の新聞に「羊の皮を被った狼」というタイトルで、スカイラインの話が載っていました。

スカイラインと言えば1960~70年代、スカイライン2000GTで一世を風靡した名車です。その後日産と合併したこともあり、今ではありませんがプリンスという会社が開発した車でした。

あのころは、マツダのロータリーや三菱ギャランなど2大メーカー以外でも、名をはせた車を販売していました。

「羊の皮を被った狼」というフレーズは1964年鈴鹿サーキットで行われた第2回日本グランプリで、ただのセダンである2000GTが、あのスポーツカーで有名なポルシェを抜いたときの感動を伝えるのに使ったものだったそうです。

プリンススカイラインと言えば、このフレーズのほかにも「ケンとメリーのスカイライン」や「車は走る狼だ」などのキャッチコピーの広告にはわくわくしたものを感じさせられました。

77Gの遠藤さんからも以前よくお聞きしました。遠藤さんから有元などにつながる電通の人脈には感慨深いものをかんじます。

 

  その152  3/2

先日、華道家元池坊行政課より、支部長の決定証が送付されてきました。

4月1日から4年間、池坊東京緑泉会支部の支部長を務めることになりました。

支部経験の浅い私が支部長というのにはいささか抵抗も感じますが、選ばれた以上はできるだけのことはしたいと思います。

現役を退いてもうすぐ5年になります。これまで40年近く、趣味は絵と花の両面立ての生活を続けてきました。仕事をリタイアして絵と花のどちらが主力の生活になるか自然の成り行きに任せてきましたが、これからはおのずと花中心の生活が待っていることになります。

時間の許す限り、画廊散布にも出かけたいとおもっていますが、引退コレクターという肩書からは少し遠ざかることになるかもしれません

サロン舟も、花関係の荷物で占領されそうです。・・・・・

 

 

   その151  2/21

アートアイガさんのドローイング祭りと不忍さんの成田朱希展を見に、画廊散歩に行ってきました。

アイガさんでは、もう一つ、1月に見そびれた直子Springの映像だけでもチェックしておきたかったのです。

ドローイング祭りは小品を中心に各作家たくさんの作品が所狭しと飾られていました。

秀作から売れてしまっているせいでしょうか、数点を除いて気に入った作品を見つけることはできませんでした。

お目当ての直子さんの春画?は映像に加えて、実物もたくさん見ることができました。野々宮さんいわく「本気で描いてるよ」というだけあって力の入った秀作揃いでした。

内容は思っていた通り、本人の子供の頃の心のこもった自画像といったところでした。作家の愛情が感じられる好感のもてる作品ばかりだったように感じました。

成田さんの作品は以前気に入った作品を見つけたこともあり、作家の素顔にも興味がありましたが、現在では珍しい経歴を持った女性のようです。

10代で家を飛び出し、他人の世話になりながら、自由奔放に独学で作品を作り続けたそうです。若くして各界の大物と付き合い気ままな論争をしていたとか・・・・・

作風もはげしさが前面に出た、完成度の高いもので力強い物が多く私のお気に入りを探すのはなかなか大変そうです。

いつもの京橋から銀座を抜けて8,000歩余りの画廊散歩でした。

 

   その150  2/15

昨日から今日にかけての大雪にはまいりました。

立春を迎えたとたんにはじまった大寒波は実にこの12日間だけで、何回も雪を降らせています。

昨晩は宇都宮から6時間近くかけて、今朝1時半過ぎにやっと家にたどり着きました。

朝も運悪く私の乗る電車だけが運休になり、45分遅れで5分ほどですが遅刻してしまいました。

栃木の方では雪もさほどではなく定刻に帰途に就いたのですが、踏切事故に巻き込まれたのがけちのつき始めで、東京にちかずくにつれ雪の影響を受けてしまったのです。

栃木から両毛線で小山に出て、小山から宇都宮線で上野、山手線で秋葉原、総武線で新小岩と来たのですが、徐行運転に加え、踏切の安全確認のため、ポイントの安全確認のため雪かきをしています、遅れている山手線を待って出発します、ホームで非常停止ボタンが押されましたなどとあらゆるトラブルが次々と発生しそのたびに遅れが加わっていくのです。

長時間の遅れと混雑で体調の悪い人が発生しましたのでさらに遅れますなどということが起こらなかったのが不思議なくらいです。

各社が長距離の乗り入れを行い、機械やコンピューターで高度の管理がされている今日、ちょっとしたトラブルが次々と重なりひどい目に合うというのが現状です。

手のある人が何も言われなくともスコップで雪かきをする、こんな姿が一番安心できるように思いました。

 

   その149  2/7

ソチオリンピックの話題が多い今日の新聞で気になる記事が3つありました。

まず一面トップで大問題のクラシック音楽の偽作または偽称の問題です。食品偽装でも感じたことですが、この世界でも売らんかなの想いが先行したのかなということです。一体、だれが主役になって事が進められたのでしょうか?

私が長年かかわってきた版画の世界では、浮世絵に代表されるように絵を描いた人と、彫った人と刷った人が別ということが普通に行われています。そのうえで書いた人の関与が完成まできちんとされていれば描いた人のオリジナル作品ということを認めるという一定のルールがあります。

今回の場合とは違うかもしれませんが、いろいろな世界でこのような暗黙の規定ないしは業界で認められた範囲というのが有ると思います。

作品の完成に作曲家と言われる被爆聾者の指示がきちんとなされていたのか、売らんかなためのただの作り話だったのか今後の推移が気になるところです。

渥美東洋先生の訃報が載っていました。

学生時代の講義を思い出します。抜群の頭脳をお持ちと噂の先生は、分厚い本を包んだ風呂敷包みをわきに置き机に腰かけて刑事訴訟法の講義をよどみなく行い、風呂敷を開けたことは一度もなくまたその包みを持ち帰るのです。

単位をとるのが最も難しいと言われていましたが、出来の悪い私がすんなり単位をとれたのはラッキーだったと今でも思っています。

三番目は、これも学生時代のことですが新宿アカシアのロールキャベツの話が載っていました。

ロールキャベツなんて見たこともない食べ物でしたが、友達に連れられてみんなで食べに行ったのを覚えています。

雑然とした新宿の一角にあった小さな店で食べたそれはホッとするようなおいしい家庭の味だったようです。

 

   その148  2/4

昨日は節分、今日は立春ということで暦の上では春ということになります。

実際には昨日が春で今日は冬じゃないのと言いたくなる気温の変化です。

東京でも午後から雪が降り始め、うっすらと積もりました。

1時からの講座も開始と同時に何本もメールが入り、事務所からもお休みの連絡が入ります。半数以上の方がお休みという結果で、取り置きの花材をたくさん残して少し早めに帰ってきました。

生け花は教材が生のお花という大変さがあります。この時期はお花も長く持つのでまだよいのですが、暖かくなると1~2日で見るも哀れな姿になってしまいます。

無理のきく花屋さんには前日ぎりぎりまで変更をお願いし、キャンセルということでお花代を次回分に回していますが、取引の関係でそうもいかない場合もあります。

生徒さんの中には不本意に思われる方もいるようですが、・・・難しい問題です。

一律に変更は何日前までと決めてもよいのですが、生徒さんの負担を考えると少しでも軽くと考えてしまいます。

 

   その147  1/28

昨日みた交通会館の綺麗なイルミネーションは、クリスマスあるいはウィンターイルミネーションと言い、11月~2月14日まで行われているようです。

昼は何度も通っていたのに、帰りはいつも反対の出入り口や新橋駅を利用していたので気が付かなかったのです。

ところで、やはり昨日のことですが銀座の内堀通りで、面白い街宣車に逢いました。

 

       「原発大賛成 この国を滅ぼす原発 

                   

            原発推進の・・・・さんを応援しよう。」

 

街宣車と言っても普通の小型の白いワンボックスカーで、早口で上記のフレーズを繰り返しながら通り過ぎただけでしたが

おもわず通り過ぎる人の心が和むような風景でした。

形を変えたヘイトスピーチ、都知事選の応援とも受け取れるのですが

皆さんはどう思いますか?

 

 

   その146  1/27

今年初めての画廊散歩に行ってきました。

せわしなく忙しい中での画廊めぐりは、散歩などと悠長なことを言っていられないものでした。

まず、出発が17時になってしまいました。どうしても見ておきたいと思っていた個展は二つとも先週で終わってしまっていたのです。

アイガさんの"なお子spurinng" 門倉直子さんの春画と聞いていましたのでチェックしておかねばと出かけたのですが、25日までが会期でおまけに今日は休みときていました。

アイガさんのホームページで見た限りでは、春画と思っているのは作家または画廊主の野々宮さんだけではないかと思うのですが・・・・・

私の見た限りでは、ご自分の懐かしい子供の頃の姿、思い入れを絵にしたもののように見えるのですが・・・・・会場にはもっとすごい春画らしきものがあったのでしょうか・・・・・・・・・・・・・

77の森田洋美展は壁から降ろした作品が床に立てかけてあったのでざっと拝見させていただきました。

新しいタイプの絵もありましたが、今後にこうご期待という感じです。

奥の部屋には川野美華の新作が5~6点あり興味をそそられました。まとまりもよくしっかりと描きこまれており、ますます充実といったところです。

養清堂では重野克明を含む3人のグループ展が今日からで、レセプションをやっていると聞き行ってみました。

レセプションは終わっていましたが、重野さんとお会いすることが出来ました。作品はますますよくなっており、版もきれいになり、内容も一段と深くなってデビュー当時の素晴らしい版画に近くなったようです。

有楽町駅に出たら、交通会館とその前の駅前広場にはグリーンとブルーを基調に黄色のアクセントのきいた鮮やかなイルミネーションが施されておりとても美しく、思わず見とれるほどでした。

街路樹?が目にも鮮やかな緑色のイルミネーションで飾られているのは初めて見ました。本当は当たり前なのに虚を突かれた感じです。

 

 

   その145  1/17

新橋演舞場に初春花形歌舞伎を見に行ってきました。

演目は寿三升影清という平家の生き残りの豪将が平家の再興を願うが、結局は失敗に終わるという物語でした。

海老蔵を前面に押し出しての公演で、なかなかのものでした。

最初は全体的に小さく感じ、先入観ではなく体で感じられないと納得できない私は居眠りしそうなところもありましたが、後半特に最後の方は、これぞ歌舞伎と感動することが出来ました。大掛かりな演出と型は、傾奇者とはよく言ったものと感心しました。

生け花も室町、江戸時代からの型と現代の自由をいかに折り合いをつけて素晴らしいものを生み出していくかというところが共通しているのではとおもいます。

それにしても、松竹系の劇場のトイレにはがっかりします。

新装なった歌舞伎座にはまだ行っていませんが、明治座やここは、女性向けの公演が多いせいでしょうか、男性トイレは特にひどく1Fには狭いのが2つしかありません。

池坊のウェスト18ビルも大小兼用が1つしかありませんが、こんなところまで似ているとは・・・・・・・・・

以前よく行っていた東宝系ではここまでひどくはなかったと思います。

尚女性用はB1に広いのがあるようですので、念のため付け加えておきます。

 

 

   その144  1/15

1月13日から上野の都美術館ギャラリーで、池坊東京連合支部花展が始まりました。

23日まで、20日の休館日を除く10日間、1次から5次までの2日づつ5回の活け替えが行われます。

私も2次展出瓶のため、5時半からの生け込みに行ってきました。

家で下生けをしていく予定でしたが、花をとりに行った花屋さんで古典立花の生け込みをしていた友達のお手伝いをする羽目になってしまい、花屋さんから会場に直行し直接会場で生けることになってしまいました。

30分もすると周りの人たちはほぼ生けあがってしまい、生け始めたばかりの私は、少々焦り気味です。それでも7時15分の終了時間にはなんとか恰好を付けて、あとは明日の手直しにかけることにしてあわてて会場を後にしました。

紫雲という花器指定に木瓜の一種生けをしたのですが、曲の多い難しい枝を選んでしまったため、予想以上に時間をかけてしまいました。

配りで生けるお生花は花材次第というのをあらためて実感させられた次第です。

何時ものことですが、東京の花展は本当にせわしなく、綱渡りの連続です。

その点、京都の花展は時間的な余裕もあり、のんびりとできるので気が楽です。

 

 

   その143  1/13

JRのチケットを購入したついでに、砂物の天板に使う板をホームセンターに買いに行きました。

途中、江戸川文化センターを通り抜けようと向かったら、あいにくロビーは成人式の式典に使用中のようで、仕方なく駐車場から正面に廻りました。

センター正面には式典を終えた新成人が沢山いてとても華やかでした。

女性はほとんどが振袖で、男性は羽織袴の人も多く見かけました。

振袖も一時流行った今風の派手な柄は流行が去ったのでしょうか、私たちにはなじみの深い花柄や古典柄のものが多く、優しいピンク系のものも目につき、最近の着物の柄にあきれることもたびたびだった私たちには、正直ほっとしたという感じです。

男性は和服とスーツが半々というところでしたが、落ち着いた黒系の和服も現代的で派手目のものもそれぞれというところでした。

あの派手な羽織の羽裏はどんなものか少々気になりました。というのも

本来の男の和服は表は地味で、見えない裏に凝るのが伝統だからです。

羽織を脱いでたたむときに見える、豪華で見事な装飾に凝るのが男の粋というものでしたから・・・・・

表以上に裏に凝っているのかそれとも、羽裏は意外とつまらないものなのか少し疑ってみたくなったのです。・・・・・・・・

 

   その142  1/5

池坊の初生け及び新年会が行われました。

午前8時から1300名余りの門弟が初生けを行い、巡視の後、場所をウェスティン都ホテル京都に会場を移し、お家元ご一家を中心に新年会が行われました。

私も初めて参加させていただきました。

現役時代の仕事が、錦糸町の場外馬券場や浅草に関係していましたのでお正月の5日は、中央競馬会の人気レース金杯がおこなわれることもあり、1年のうちでもっとも競馬ファンの集まる日でしたので、初生けには行けませんでした。

現役を引退し、5年目にして支部活動にもなじみやっと参加できました。

初生けは意外と気楽で簡単な花を生け、家元や京都の教授陣にご挨拶をする程度です。鋏一丁あれば事足ります。生けたお花もそのままにしておいてもかまいません。器も剣山も用意されているものを遣えます。

新年会は1300名が一堂に会し、ごあいさつの後、嵐山吉兆のお正月料理をいただき、軽く一杯やって、抽選会などを楽しんで散会します。

久しぶりの懐かしい顔にお会いすることもでき「やあやあ おめでとう」といったところです。

たまにはいいなと思いますが、来年からは当分、毎年出かけることになりそうです。

 

   その141  1/2

西新井大師に初もうでに行ってきました。

月2回、宇都宮への行き帰り西新井の駅を通るたびに、ここから大師線に乗れば直ぐお大師様に行けるんだと気になりながら実際は行ったことがありませんでした。

今年こそはとの想いがやっと実現しました。

お正月もまだ2日ということで、大師様もいっぱいでした。

駅の前がすぐ山門のようですが、駅を出てすぐ最後尾というプラカードを見つけ並ぶと、だらだらと商店街を一周してやっと西門につきました。

街の中に大きな伽藍が建っており、、周りはすぐ民家や商店といった感じです。

本堂はやたら高く、前の階段も屋根も急こう配で、高めの柱と合わせかなり威圧感のあるものに感じました。堂内もあまり広くないのでしょうか、護摩をいただく人でいっぱいのようで、御賽銭がぶつからないようにとの配慮でしょうが賽銭箱の先はすぐ金網でした。

余りの余裕のなさと威圧感で、正直こんなものなのと思ってしまいました。

お大師様って、もっと親しみのあるものだったのだろうに・・・・・・・

帰り際に通った参道は、お店も多く活気にあふれいい感じでした。

何はともあれ、長年の懸案を一つ解決できてよかったです。

帰りは向島百花園により、これもチラシなどで気になっていたくらずしにより、遅い昼食を済ませて帰ってきました。

百花園は制限がされており、福禄寿のお参りと春の七草しか見ることが出来ませんでした。くらずしも初めてだったので、要領を得ず戸惑いましたがなれればまあまあなのかなといった感想です。

何はともあれ、不充分ながらも問題解決の多かった一日でした。

めでたし、めでたし・・・・・・・・・・・

 

   その140  2014/1/1

今日は元旦、一年のはじまりの日です。正月は1月、元旦は今日の朝を言い、最初の朝日が昇るのを意味します。

例年通り、起き抜けに入浴し、お節料理をつまみに、田酒をいただきました。

子どもの頃育った田舎(千葉)では、お正月、とくに元日は何もしないのが習わしでした。旅行などは持っての他で、お金を遣う事も、お掃除することも、お風呂をたくことも禁じられていました。

お正月は、女性ではなく男が早く起きてお雑煮の用意をします。

四角い餅を茹でて、しょうゆ味の汁を作ります。茶碗に入れたお餅に、はばという海藻のあぶってもんだものと青海苔、鰹節をのせ汁をかけただけのシンプルなものでしたが、ダシもきき味のよいおいしいものでした。

大家族の中で、末っ子の私は、遅くにのこのこと起きだして、鍔付の大ガマのお湯の中から、トロトロになったお餅をすくいだして、7つ8つも食べては自慢していました。

10才頃になってからは、一人の男(?)として、鰹節をかく役目をつとめました。家族全員で食べる鰹節を同じあつさ、同じ大きさで綺麗なものを用意するのはなかなか大変で子供ながら、いろいろ工夫したのを覚えています。

日本では八百万の神と言って、あらゆるものに神が宿るとされており、年末に門には門松を立て、玄関や神棚、外の社はもちろん、台所や井戸、トイレまでしめ縄やおかざりを飾ったものです。

そういう神聖なものですから、お正月くらいはなるべく休ませるという考えがあったのでしょうか?

 

   その139  12/31

大晦日の晩、入浴していると懐かしい昭和の唄が聞こえてきました。

浴室には、我が家で一番性能の良いスピーカーがついています。以前は有線が入っており家中に音楽が流れていました。

お客様に合わせて選曲するようにしているのですが、私たちの年代になると、やはり昭和の歌謡曲が一番馴染みます。

今日は9時半まで紅白は見ないことになっていたのに、今年の紅白はこんなコーナーもあるのかなと思っていたら、テレビ東京の年忘れ日本の唄でした。

八代亜紀の「なみだ恋」も流れ、思わず聞き入ってしまいました。

深夜放送世代の私達は、受験生ブルースや帰ってきた酔っ払いなどの唄を喫きながら受験勉強をしたものです。

もう40年も前になりますが、深夜の新聞輸送のアルバイトをしていたことがあります。

当時、オールナイト日本や走れ歌謡曲などの深夜放送が流行っていました。まだラジオが勢力を持っていたころのことです。

唄の好きだった私は、唄がききたくて深夜の運転手のバイトを見つけたのです。夜の11時ごろ新聞社を出発し朝の3時ごろ帰ってくる仕事です。運転中は自分の好きなラジオを聴いていることが出来ます。

そんな時、深夜放送の中で八代亜紀がトラック野郎の車に乗り、なみだ恋を営業するという番組がありました。思えば、そのころからの八代亜紀ファンの私です。

レコード大賞をとった舟歌よりも私にとっては、なんといってもなみだ恋が一番です。

懐かしい思い出に浸った大みそかの晩でした。

 

 

   その138  12/26

今日はなぜか今話題の飲食チェーン2店に行きました。

所用で出かけたお店のすぐ先に、あの餃子の王将があるのを思い出し入ってみました。ここの餃子は安くておいしいので有名です。

現在の店をここまで育てた社長が、先日、本社前で何者かに射殺されたのにはびっくりしました。まるで映画の中の出来事のようです。

外からはわからないことが、いろいろあったのでしょうか?

世間では追悼餃子と言われているようですが、餃子のセットされた定食をいただきました。餃子とチャーハンとから揚げにスープがついてボリューム満点で、餃子にも満足しました。チャーハンは?

夜は、20歳近い年下の友達と新宿の和民に行きました。飲み放題付の和民を探すのは大変だったとか・・・・

和民は以前、冷酒を飲んでかなりおいしかったので居酒屋の中では気に入っているお店です。

小さな小部屋風の造りで、2時間の飲み放題の間に、隣の席は3組ほど入れ代りました。3組で8人のうち7人が女性です。まるでお茶を飲んだり食事をしたりするような感覚で来店しているようです。

そういえば、駅のホームから見える居酒屋の看板にはキッズコーナーの表示があります。

店内は若者らしきお客さんでいっぱいです。店員さんも元気よくてきぱきと動いています。

表から見る限りブラック企業にはみえません。

料理もお刺身からサラダその他、どれもおいしくボリューム満点です。

これだけの内容を維持するのは、競争の激しいこのご時世大変なことでしょう。原価も人件費もきっと厳しく管理されている事と思います。

安い人手が必要な企業と労働を避ける若者とのミスマッチもあり、職にありつけない人が多いのに人手不足の企業も多いというおかしな現象が当たり前のようにまかり通っています。

労働不足の中の格差と貧困・・・難しい世の中です。

 

 

 

   その137  12/23

連休を利用して買い物と年賀状作りをしました。

これでやっと、懸案になっていた諸々の処理を終えることが出来ました。

いよいよ、明日からはお正月花のレッスンに入ります。

連日、手を松脂だらけにしてお花のお稽古と指導に当たります。

みなさん通常のレッスンではできない松等を主材にした大きな花を生け込みます。

最近は減少がちの生け花人口ですが、お正月の花を生けるという意識はまだ多くの人に残っているようです。

それでも、費用が掛かるせいでしょうか、お正月花はパスという人も出てきています。値段の上がったお稽古花も避けてレッスンをキャンセルする方も見られるこの頃です。

生け花用の花材は長いので、どうしても割高になってしまいます。お花屋さんもこの時期ボーナス資金を稼ぎ出さなければならないという事情もあるとおもいますが、束売りされているスーパーのお正月用の花と比べると2倍3倍の価格になってしまいます。普通の生活の中ではそれでも十分、お正月が迎えられるわけです。

この時期になると、アレンジメントのお正月花材の方が安いという逆転現象もあちこちで見受けられます。

生け花を教える者としては、年に一度くらいは特別の花を生けて、特別の気持ちで新年を迎えていただきたいと願うのですが・・・・・

贅沢というものでしょうか・・・・・・・・・・・・・

 

 

   その136  12/19

午後からは晴れの天気予報でしたが、今日の雨はやみそうにありません。

今日が今年、最後の画廊散歩の予定でしたので冷たい雨の中を出かけました。あちらこちらから雪の情報が入ってくる特別寒い一日です。

何時ものアイガさんにより、同じ八丁堀のふまコンテンポラリーで行われている若手の版画発表展にいきました。初めての画廊でしたが、文京アートのふまさんのやられているお店のようです。京橋の方からしばらく前に越してきたことは耳にしていましたが、ビルの9Fに吹き抜けと螺旋階段で昇る展示スペースもあり、なかなか面白い空間です。

確か、コレクターから出発した画商さんですが確実に営業を続けておられるのだと感じました。

次は、ユマニテさんに顔をだし、オーナーに今年一年の処理をお願いし、不忍さん森元さんには時間の関係で失礼し椿に伺いました。あいにくご主人は不在でしたが、同じコレクターのT先生、NHKのKさんのお顔をひさしぶりに拝見することが出来ました。

並木通りを歩いていると、交差する通りにそれぞれのライトアップがされており、雨の中の銀ブラもおつなものです。

ダンヒルのあたりで藤井画廊の看板を目にし、村越画廊の谷口朋絵を見る予定を思い出し、久しぶりに岩月ビルに入りました。

村越さんも藤井さんも老舗の大手画商さんで、以前は通りの一階に格式高い店を構えていましたが、今はビルの上の方で営業されています。

入れ違いに、これも懐かしい古くからのコレクターと出逢い、軽く挨拶して中に入りました。おそらく彼も谷口の作品を確認に来たと思われます。

最後はいつものように77ギャラリーでよもやま話に花を咲かせ、イチゴ大福などをご馳走になり、おそらく今年最後になるであろう画廊散歩を締めくくりました。

寒い雨の中の散歩でしたが、古くから顔見知りのコレクター3人の健在を確認でき、文京、村越、川船他、これも古くからなじみの画廊にもよることが出来た充実した午後でした。

 

   その136  12/17

スッキリしないと気分が悪いという塗装の親方の希望で使っていないBSアンテナを外すことにしたのですが、昨日地デジではろくな番組もやっていないのでBSを見ようとしたらうまく映りません。

ローカルテレビに電話し契約内容を確認しましたが、BSも送っていますとのこと・・・・・

受付の女性ではわからず、後程、テクニカルの担当者から電話を頂きなんとか映るようになりましたが、今度は外付けハードディスクの録画・再生が動作しません。

再度電話し、また自動応答から受付の女性と延々と話、しディスクメーカーに電話しろというのに納得できずテクニカル担当につなぐよう要求しました。

夕方になり電話が入り、地デジはこれまで通りテレビのリモコンで操作すれば録画できるようになりましたが、BSは当社のチューナーには録画機能はありませんということで、結局アンテナがなければ録画再生はできないという結論になりました。

これって、お金を払ってローカルテレビと契約している価値あるのかなーと思ってしまいました。

最近はこのような経験をすることがたびたびあります。IT関連にとくに多いように感じますが、メーカーもお店もソフトも他の企業もきちんとした説明をせずに、自分に有利になるように設定しているように感じます。

パソコンを使用しているとウインドーズもマイクロソフトもヤフーもグーグルもその他名の通った企業もしつこくアクセスしてきます。

大企業だからと安心して思わずクリックしたり、先方から勝手に更新したりされ突然画面が変更されていたり、そのままでは使用できなくなってしまうことがよくあります。

高齢者にはすぐについていくことが出来ないことも多く余計な時間を使ってしまいます。慣れない画面に戸惑ってショックを受けます。

事前にきちんと説明するなり、もっと丁寧に誘導して頂きたいと思うことの多いこの頃です。

 

   その135  12/17

今週は珍しく月曜から金曜まで特別の予定もなく暇な週と思っていたが、クリスマス資材やお正月花材の手配その他、雑務の処理に追われなかなか自由な時間をのんびりというわけにはいきません。

年内に一度くらいは、画廊散歩もしなければと思っているのですが・・・・

師走ってやはり忙しいものなのかなー

我が家では、京都から帰宅直後の9日から外壁のリフォーム工事がはじまり家の周りには足場が組まれ、シートとビニールですっぽりと二重に覆われてしまっています。

家の中は薄暗く、窓もしめっきりなので愛猫のジュニアもストレスがたまっているようで、起床も遅く時々変な声で鳴いています。かわいそうですが家の中を自由に歩けるだけ、ペットホテルよりましかとそのままにしています。

バブル絶頂期の無駄の多い家でもあり、少しは省エネやエコのことを考えての改装です。

 

   その134  12/9

昨日、京都で行われていた冬期講習より帰りました。

前回京都から帰り2週間での出発でしたので雑務処理に追われ、何かとせわしなくこの欄の書き込みもできませんでした。

今回は江戸前期の古典立花から、十一屋太右衛門の二真と専好の松一色の勉強です。

二真は竹と松の2本の真が10~15ミリ程の間隔を保ちながらまっすぐに立つというものです。結婚式などのおめでたい席に生けられる立花です。

松一色はおなじみの専好さんの若松の直真でした。いろいろの松や苔松、枯枝等松だけを使って立花を立てます。

4日で2作の制作でしたが、連日8時半から7時近くまで、冬季講習は初めてでしたがなかなかの強行軍で少し疲れましたが出来上がった時の感動は格別のものがあります。

来年は1月5日の初生けに始まり、上野の美術館での東京連合花展、3日教室と続きますが、年内はちょっと一息といった感じです。

 

 

   その133  11/28

駒込の旧古川庭園と六義園に行ってきました。

古川庭園の秋バラと紅葉の競演、そして六義園の紅葉とライトアップを鑑賞するのは春バラの頃から予定していたものが、今日実現しました。

旧古川庭園は洋館とバラを中心とする洋風庭園と和風庭園で有名です。

秋バラには少し遅すぎましたが、一本一本が丁寧に手入れされたバラは想像するだけでも見事です。11月末の今でも立派な蕾も多く付、種類により開花も鑑賞することが出来ました。

和風庭園も池を中心とした回遊式庭園で、紅葉も見ごろでした。

紅葉だけでなく満天星ツツジやナナカマドの赤はもちろん、銀杏などの黄色の紅葉も素晴らしかったです。

六義園には4時過ぎに入り、日没の庭園と4時半からのライトアップも見ることが出来ました。

元禄時代に川越藩主であり将軍の側用人も務めた柳沢吉保が自ら設計指揮して完成されたというこの庭園は壮大で立派なものです。

池に映る松や築山や橋、ライトアップの光、うっそうと茂る林の中の竹林やせせらぎが白やブルーに彩られ紅葉と呼応する様子は素晴らしいもので、夜の庭園散策をたっぷりと堪能することが出来ました。

時間を追うほど人出も多くなり、6時過ぎまで園内を楽しんでいました。

 

 

  その132  11/26

夜のレッスンに入る前に夕やみ迫る太田黒公園(荻窪駅近く)に紅葉狩りに行ってきました。

入り口の銀杏並木は黄色になり始めといった感じでしたが、奥の植え込みや池の周りの紅葉などはちょうど見ごろに色ずいていました。

4時を回っていたため日の短いこの頃は、木陰に入るとすでに薄暗く鮮やかな色以外はスッキリとした紅葉は確認できず、濃い赤のかたまりという感じでしたが、紅葉の木も大きく見ごろの見事な紅葉を想像できる状態でした。

その分と言ってはなんですが、フラッシュを切って撮影した写真で、多少ボケ気味ですが素晴らしい赤や黄色を確認することが出来ました。カメラの目ってすごいですね。

太田黒公園は、昨年池坊東京緑泉会の青年部の人達が研究会の午後、野外研修のような形で訪れる予定にしていましたが、第二土曜では早すぎて当日中止にしていたことがあります。

その時初めて知った公園で、何十年も荻窪に通っていながら全く知りませんでした。

こんな近くに、うっそうとした素敵な庭園があるなんて、東京もそう捨てたものでもありません。

 

   その131  11/22

レッスンの合間、宇都宮の東武デパートをのぞいたら、八代亜紀絵画展の看板が目に留まりました。

デビュー以来のファンだったものとしてはここは見ておかねばと、会場に入りました。

タレントさんで絵を描いている人をテレビなどでときどき見かけますが、個展形式のまとまった作品を見るのはしばらく前の五月みどり展以来のことです。

それぞれ個性のある、いかにもその人らしい絵を見ることが出来ます。

今回の個展は「ル・サロン」の入選作も含め多くの作品が飾られていました。フレームも凝っていて、コーナーにはYAのアルハベットが図案化されていたり、AKIと名前が彫りだされているものもありました。

絵もタイトなドレスを思わせるような綺麗で整ったものが多く、ここ2~3年でかなり腕を上げているように思いました。

形や雰囲気をうまくとらえ、きちんと作品にしていく力はさすがで、ダビィンチの模写などをして、筆の遣い方なども練習していると書いてありました。

やはり一芸に秀でるものは何をやらせても、それなりの力はあるようです。

同じタレントでも、中には頭をひねるようなひどいものを見ることもたまにありますが・・・・・

 

   その130  11/20

先週末から今週初めにかけ京都へ行ってきました。

旧七夕会見学のためです。道場席を見学していると早速、久留米支部のFさんにつかまり「今晩搬入の手が足りないのでよかったら手伝って」ということになり早目に見学を切り上げ、下生け会場に伺うことにしました。

高島屋会場は、往復タクシーで駆けつけました。

運転手さんの話では「昨日、高尾の方へ行ったが余り紅葉はしていなかった。

今年の紅葉は遅れており、見ごろは来週だね」とのこと

ゆっくりと紅葉でもと楽しみにしていましたが出ばなをくじかれてしまった感じです。

会場は紅葉と実物が沢山使われており、新風体や自由花を中心にとてもきれいでした。特別紅葉狩りに行かなくても、たっぷり秋を堪能したという気にさせてくれました。

ただ、帰って写真を整理していると沢山ありすぎて「みんな同じかなー」という気がしてきてしまいました。

土曜の夜は支部の人達と、町屋造りを改装した薬膳中華のお店で会食し、日曜日は『松永滋特命教授を囲む会』に出席し、フランス料理のフルコースをいただきました。会費は積立金の余りで充当され無料でしたが、よほど余裕があったと見えて予想以上の豪華な内容に大満足といったところです。

今回は、何故か京都まで来て一回も和食は口にしませんでした。

懐かしい人たちにたくさんお逢いすることができ、素晴らしい作品を見て充実の京都でした。

 

 

   その129  11/14

昨日から、京都高島屋で旧七夕会池坊展が始まりました。

明日からは、池坊会館、家元道場、ウエスト16の会場も加わり、本格的に開催されます。

旧七夕会は池坊最大の花展で、江戸時代初期に後水尾天皇により旧暦7月7日に宮中で催されていたのがはじまりです。天皇の信任あつかった二代にわたる専好がたびたび指導に上がっていたことから、のちに主催権を池坊に任されました。天皇亡き後、開催日を天皇の命日に移されたり、明治の新暦の導入や季節を選んだりしながら、現在は11月のこの時期に行われるようになりました。

今年は、約1600名の出瓶者に加え関係者も含めると、家元付近のホテルは池坊人でいっぱいです。京都は紅葉の時期でもあり大賑わいとなります。

私も後半、京都に入りますが出瓶の予定はないのでのんびりと見学し、必要なところに顔をだして、紅葉も楽しんできたいと思います。

9,10月とのんびりしていましたが、これから1月末にかけ4回の京都行きを予定しています。

池坊は京都のお寺、六角堂頂法寺を拠点としていますので、東京はじめ京都から離れたところで活動する者にとっては大変なところもあります。

 

 

   その128  11/12

ギャラリー椿の伊津野雄二展と平野栄作展を見てきました。

どちらも明るく、きれいで品のある作品が並んでいました。

伊津野の個展は木彫が主体で、木肌が美しく、木の香りが感じられるような大小の婦人像が素晴らしかったです。

むかし感じた、新しい木を切断したときの感覚を思い出させてくれました。松も姫松も楠も、こんなに新鮮で美しいものだと再認識しました。

平野の個展はアクリルの若い女性像です。

きらきらとした若々しさを備えた明るい女性像は、躍動感を与える好感のもてるものでした。

GT-2の展示ですが、事前に売れてしまうと聞いていましたが、この絵ならそうだろうと納得しました。

会場には、明治から大正、終戦まで頃のアルバムが数冊置かれており、モノクロの写真は何やら貴重な歴史資料の様でした。

明治14年に創業された大阪鉄工所、のちの日立造船の創業者E.H.ハンターやその子孫の家族写真らしく、興味深い風景や古い絵葉書なども見ることが出来ました。

二人の作品に共通して、育ちの良さ、品の良さを感じたのは、実際に家柄がよかったからなのでしょうか。

伊津野さんのお宅も大きな庭園のあるお住まいのようです。

確認はしませんでしたが・・・・・

 

 

   その127  11/4

展示作品の架け替えをしました。

オープニングのご案内をすべきところですが、相変わらず愛猫の体調が思わしくなく、今年もオープニングは中止です。高齢のせいでしょうか、血圧が高く、甲状腺に異常があり、おまけに心臓肥大ときては、環境の変化や無理をさせることは大敵のようです。

今日は朝から雨でした。

絵画などの大切なものをしまうのは、三日位、晴天の日が続いた後で行うのは常識ですが、昨日のうちに外してしまう作業をしておいてよかったです。

おかげで、予定どおり架け替えを終えることが出来ました。

今年の秋の展示は、「柿崎兆の木版画展」です。

乳白色を基調とする、しっとりと落ち着いた作品です。一見、抽象っぽいものですが、少し色も入り、形もわかり、穏やかな気持ちにさせてくれます。

先日の雨の中の画廊めぐりでも感じたことですが、寒さのますこれからの季節は、モノクロのような細やかな版画をじっくりとみるにはとてもいい季節です。秋の架け替えには好んで版画を選ぶのは、この楽しみがあるからです。

昨年、10数年ぶりに銀座で柿崎の個展が開催されました。

一回の個展で、数百点の販売実績を持ち、業界を驚かせたことのある柿崎ですが、10年以上も作品を作ることが出来なかったそうです。

余りにもナイーブで繊細な神経のため極度のスランプに陥り、数年前からやっと制作を再開したようです。

10年のブランクは大きく、ほとんど忘れ去られようとなる年月です。この間画商もコレクターも世代替わりが進み、業界も様変わりしています。

作家がこれらの変化を受け入れ、再び世の中に受け入れられるには少し時間がいりそうです。

素晴らしいセンスと才能を持つ作家だけに、昔のような活躍を期待せずにはいられません。

 

 

   その126  11/1

華道家元東京本部の開所式に出席しました。

昨日まで池坊お茶の水学院だった物件を宗教法人が買い取り、新たに東京本部として池坊の諸々を発信し有効に活用しようというものです。

池坊は京都が発祥地ということもあり、これまでどうしても東京はおろそかにされる傾向にありましたが、これを機会に、日本の首都東京でも大いに池坊をアピールできればと思います。

私が初めて池坊学院に行ったのは、1968年頃だったと記憶しています。

まだ生け花を習い始めて間もない頃でしたが、貴重な男手ということもあり、当時まだお若くバリバリ活躍されていた先生のお手伝いで時々顔を出していました。

当時の学院は、現在の日新火災の場所にありおしゃれで素敵な専門学校でした。生け花を中心に日本の文化、芸術を総合的に学ぶいわゆるお嬢様学校だったようなイメージがあります。

ロビーに入ると、その素晴らしさに気分が高揚するほどでした。

近所の明大や中大(当時)の学生には、池坊学院のお嬢様方はあこがれの的だったように聞いています。

時代の流れで、学歴や仕事の役に立たない教養は敬遠されがちな現在ですが、美大並にお金のかかる文化の勉強がすたれていくのも仕方のないところもありますが、残念でなりません。

普通の人が、日本の文化に接し、当たり前の教養として身につけられる、そんな日が来ることを願います。

 

 

   その125  10/29

小雨降る中、日本橋から新橋まで歩きました。

しばらく雨の降る日が多かったせいでしょうか、建物や街並がなんとなくきれいですっきりとしている感じがします。

高島屋の画廊は昨日までの重野展が終わり、明日からの北川健二展への架け替え中だったり、期待していた版画展が先週で終わっていたりとタイミングの悪い一日でしたが、雨の日には雨の日の良いところもありました。

森をイメージしたという、東京スクエアガーデンも雨に煙り、しっとりと幻想的なたたずまいを見せていました

小さな屋上画廊では、いつも大勢の若い人達に圧倒されて作品を見て帰るだけでしたが、テラス席に案内されてコーヒーまでごちそうになりました。

また一つ、親近感の持てる画廊が増えた感じです、

最後の画廊でしばらく話していると重野君が現れ、先ほど私が覗いたで、あの時間作業をしていたとのことでした。

作品もだいぶ良くなり期待していることを告げることもできました。

高島屋での版画展はほとんどないようですが、今回、重野君の作品が100点近く売れたとのことで、版画の良さを再評価して頂けるとよいのですが・・・・・。

 

 

   その124  10/28

食べ物に関する、偽装や誤表示の問題が連日マスコミをにぎわしています。

実際に被害や迷惑を受けられた方は、さぞ悔しい思いをしておられることと思います。

食や味覚は個人差もあり、口コミやブランドを頼りにしていると、この時期とんでもないものを食べさせられているということも少なくありません。

かつて、食に多少かかわっていたものとしてはいろいろ考えさせられます。

食べ物は必ずしも高価なものや人気のあるものが、おいしいとは限らないからです。私個人としては、自分が食べてみて美味しいと感じたものがおいしいものと思うようにしています。

そばの卸について例をとりますと、お客様により好みはいろいろで、各お店により要望はいろいろです。末端のお客様の嗜好を店主が汲み取り製麺所に要求が出され、それを参考に製造者がサンプルを作り、お互いに納得のいったものを採用するわけです。

そばの中心部だけ遣う事もあれば、わざと皮の部分を入れたりもします。

世界中のそばをブレンドしたそば粉の中から、できるだけ最適のものを選び、小麦粉との割合や添加物を使用することもあります。

そば粉が多いから旨い、高級なそば粉を使ったから旨いともいえません。

のど越しで食べる人もいれば、味を重要視する人もいます。「江戸っ子はそばは噛まずにのど越しで食べる・・・・喉に引っかからない滑らかさで味もあり、腰もあり、適度に色のついたそばをとの難題を要求されたこともあります。

そして、国産のそば粉はごくわずかしかありません。「世界中のそばを使っているから、一年中新そばがある」などということになります。あたかも国産の新そばを使っているようなポスターをよく目にしますが、真相はわかりません。

また、作る人と、売る人が違う場合など、両者の温度差もあり、必ずしも表示が適切でない場合が起こります。売らんかなの気持ちが先走ってしまうわけです。

マスコミで騒がれている誤表示、偽装についてついては、あれだけの組織を持ちブランド力のある企業が、誰も気が付かなかったなんてことはあり得ないと思うのが普通ではないでしょうか?多くの人が気付いていながら、そのままにしておいたと考えるのが妥当でしょう。

 

 

   その123  10/19

尾関立子さんの個展を見てきました。

どんな作品を発表していた作家かは思い出せませんでしたが、以前よく聞いたり見たりしていた名前でした。

今回は、タブローと版画、半々の出品でしたが、以前は銅版画だったような記憶があります。

調度、作家も在廊しており、オーナーを交えてお話しする機会に恵まれました。やはり、以前は銅版画家で、専門誌にもたびたび取り上げられていたようです。

刷師の広島さんや白井さんの名前なども出てきて、なつかしい気持ちになりました。

やがて、お話に出てきた広島さんもお見えになりました。懐かしい顔でしたが、直接親しく話したことはあまりありませんでしたので、入れ違いに失礼してしまいました。

確か広島さんは、大阪フォルムの版画工房にいた方で、サロン舟開設記念のオリジナルエディションの刷りをして下さった方です。刷師では、この他に、木村喜八さんともたびたびお話をさせていただいた記憶があります。

木村さんは、もうすでに引退されていることと思いますが、大量の版画作品や資料を故郷の美術館に寄付されています。

職人気質で気さくな方でしたが、そんなにすごいことが出来る人だったんだとあらためて思ったことがあります。版画は通常のエディションのほかに、刷師の保存分もあり、長い刷師生活の間に膨大なコレクションがたまったものと思いますが、木村さんはその他にも精力的に収集していたようです。また、晩年はご自分の作品も作っておられました。

在りし日の大橋さんの画廊や、77ギャラリーでは頻繁にお会いしていました。

尾関さんの作品は、やはりどこかで見たことのあるものが多く、オーナー推薦の一点を除いては、とくに興味を引くものではありませんでした。

 

 

   その122  10/16

松崎画廊で行われている、書家のA氏の社中(?)展を見に行きました。

コレクター仲間でもある彼は、書を教えるほか、書をもとにした芸術作品を制作したり、テレビドラマなどのタイトルを書いたりしています。

最近は、汐留駅前のホテルの一室を禅をテーマにプロデュースするなど多方面に活躍しています。外国人の宿泊が70%というこのホテル、なかなか高そうで私などの泊まれるようなものではなさそうです。

展示会は、氏の作品にも面白いものがあったり、お弟子さんの作品も、若々しくて見ごたえのあるものがたくさん並んでいました。

帰り際、加藤ゆわ展をのぞいてきました。

事前に映像でチェックしていましたが、線の美しさと、完璧な書き込みに感心しました。思っていたよりも出来は良かったのですが、やはり、なんとなく売り絵感覚が先行したのではという感触は消えませんでした。

それにしてもこの時期、全点完売はすごい!!

調度、芸大の学生さんが4~5人来廊し、絵を描いていくうえでの姿勢のあり方ということになり・・・・・

藤田嗣二や無名の川野美華などの作品を並べ加藤ゆわの作品も交え、にわか品評会となりました。

あらためて川野の作品を正面から見て、ゾクゾクしてしまいました。

お化けのような作品ですが、とてもかわいくて、線もフォルムも素晴らしくまとまっています。今までの作品と比べ少しおとなしく私にも手を出せそうな仕上がりでした。木の箱を切って、木ねじで止めたような額装ですが、これもありかと納得・・・・・。

この自由さ、何物にもとらわれない奔放さ、地方で地道に自分の作品を制作する姿勢に感動です。

 

 

   その121  10/14

少し遅めですが荒川の河川敷にある、平井運動公園のコスモスを見に行きました。春のポピーが終わった後に植えられたものが今は盛りと咲いています。

新小岩公園から、中川・荒川にかかる平井大橋を渡って1時間ちょっとの散歩です。

色とりどりのコスモスが咲き乱れ風に揺れるさまは、とてもきれいです。

この公園からは、遠くに東京スカイツリーの雄姿も望め、広々とした河川敷は気持ちのいいものです。今日は秋晴れの天気にも恵まれ、うっすらと汗をかく程度の散歩で適当な運動になりました。

コスモスの広場は、蔵前通りの平井大橋と首都高、その下を流れる荒川、総武線の鉄橋に囲まれる形でロケーションも抜群です。平井大橋をくぐれば、カーブする首都高に合わせて造られた、連続する二つのつり橋「葛飾ハープ橋」の美しい姿と、変化のある爽やかで雄大な景色を堪能することが出来ます。

今、あちこちに花が植えられボランティアにより管理されている所が沢山あります。ネットの中にも花の開花状況などが投稿され重宝しています。

無償で努力されているこのような方々に、心から感謝します。

 

 

   その120  10/13

池坊お茶の水学院1階ロビーで行われている、池坊展「輝く未来へ」池坊東京中央研究会支部、青・壮年部記念花展を見てきました。

先週の八王子での花展、先々週の大先生の社中展は台風が来たり、予定があったりで伺うことが出来ませんでしたが、今日は速めに行ってきました。

池坊では、各親支部の下に青年部・壮年部があり、親支部の協力のもとそれぞれの活動をしています。

会場は大作自由花を中心に古典立花から、立花・生花・自由花・新風体まで若々しいはつらつとした作品が並び好感の持てるスッキリとした会場構成になっていました。

お茶の水の花展では顔見知りの方にお逢いすることも多いので、今回は妻は遠慮させていただき一人で行きました。案の定、数人の友達にお会いし、11月の京都での再会を約して帰ってきました。

 

 

   その119  10/10

ここ数日、夏のような暑さが続いています。

仕舞いそびれていた夏のズボンと半袖のシャツを引っ張り出して出かけました。

東京都美術館の版画展を見るのは数年ぶりです。

版画コレクターだった頃は毎年のように見学し、お気に入りの作家の作品をチェックしたり、新人発掘の参考にしていたものです。

木版や平版の大型作品が多く、それぞれ力作が展示されていましたがあまり収穫はありませんでした。

日本は世界にかんたる版画王国だと思いますが、版画の地位が相対的に低くなって久しいものがあります。広い会場で作品も多くいささか疲れましたが・・・・・・

上野駅のパンダ橋を渡って、地下にもぐり、銀座線で日本橋高島屋へ・・・

画廊で行われている重野克明展「重野克明 版画の鬼と化す、」を見ました。

作家からの案内状で、暗く重苦しい感じと、作家の独りよがりな面が強くあまり期待はしていませんでしたが、予想に反してなかなかのものでした。

作品は、暗く重い感じのものと、軽めの雰囲気のあるものがありましたが、デパートという場所柄でしょうか、軽めの抒情的な作品が多く売れていました。

一時期作風に迷い、安定しない期間がありましたが、どうやらいい方向を見出したようです。「やっぱり、お前は版画家だろ」といいたい・・・・・

天才エッチャー、名手復活といったところです。掛布ー31-の呪縛からも卒業できたようで    まずは よかった・・・よかった・・・

隣は、入り口一杯に花が飾られ、なにかと思ったら、東京芸大学長で金工家の宮田亮平先生の大規模な個展でした。おなじみの名前の花もたくさんでていました。

オープンスペースでは、若手作家の蓋物展や若尾先生の個展予告の焼き物が並んでおり、いつになく充実しているように感じました。

 

 

   その118  10/8

日本から、農業が消える?

TPP交渉に関連し、担当のトップなどから聖域5項目の見直しなどという言葉が飛び出したのには、いよいよ来たかと驚きました。

それに関し、今朝のニッポン放送朝ラジの中で、ジャーナリストの須田さんのコメントが印象的でした。

日本の中小の農家は数十年前には、三ちゃん(じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃん)農業とか、兼業農家などと呼ばれ、現在では高齢化による担い手の減少で壊滅状態です。そして

農業の法人化などと言われ、希望が持てるかと思っていましたが、肝心の農業法人が、関税の撤廃により日本から出ていくそうです。

日本の優秀な種と機械を持って、土地も、人件費も安く、二毛作三毛作の出来る東南アジアなどで生産したものを、関税の撤廃された日本に大量に輸出した方が絶対に有利だと思っているようです。

農業の工業化により、日本はこれに勝てるのでしょうか?

十年ほど前、食料の自給率向上の必要性が盛んに言われていたことがありました。

食料の自給率があまり低いと、ひとたび世界に混乱が起きた場合、日本には食べるものがなくなってしまうということです。

その時、アメリカは守ってくれるのでしょうか・・・・・

それとも、北朝鮮のようになってしまうのでしょうか・・・・・

いずれにしても、日本は何も言えない国にになってしまうように思えてなりません。

 

 

   その117  10/7

金木犀の花が満開です。オレンジ色の小さな花を無数に咲かせています。

家の近くを散歩していると、どこからともなく金木犀の、甘めでしっかりした芳香がしてきます。

あらためて見てみると、散歩道にしている緑道の両側に植わっていたり、家々の庭に1本2本と植えられています。

我が家の庭の金木犀は、年に何度も刈り込んでしまうせいか、肥料が少なかったり、日当たりが悪いせいでしょうか、一度も花を付けたことがありません。

高校生まで過ごした田舎の家の庭には、当時としては大きく感じた金木犀が庭に植えられており、この時期になるとびっしりと花をつけ、木全体がオレンジの大きな塊となりました。花が散ると、地面に大きな黄金の円を作り、庭全体が黄金色に輝いているようでした。

小さな花を丁寧に一つづつ摘んでいる女子高生に逢いましたが、お料理に使うのでしょうか?・・・花は白ワインにつけたり、花茶や香味料、スィーツの飾りなどにも使えるようです。

 

 

   その116  10/6

先日行った神宮外苑の銀杏並木では、その由来をじっくりと読んできました。

私のこれまでの知識では、銀杏は樹形が整い、黄色の紅葉が美しく、火災に強いがそのギンナンはとても臭いという程度のものでした。

銀杏はとても古くから存在する植物(古代植物の生き残り)のようで、世界中に分布していたものが、地球の氷河期に多くの生物が絶滅したのにも負けず、わずかに暖かかった中国で生き延びて来たそうです。

とすると、あのマンモスなどの恐竜と一緒にこの地球に生えていたのかと考えると、なにかロマンを感じるものがあります。

神宮外苑の銀杏並木は、宮内庁南豊島御料地内の描園で育てられていた1600本の成木から、樹形の良いものを選び、数年かけて樹形を整えた後、大正12年(1923)に車道を挟む舗道の両側4列に樹形・高さを吟味して並べて植えられたとのことです。その数は146本約300メートルの直線の並木です。

鍛冶橋通りの京橋あたりでも銀杏並木は見ることが出来ますが、その端正さとうっそうとした景観は、成程納得という感じです。

黄金色に全面紅葉した見事な並木には、なかなか出会うことが出来ませんが、一度だけ、国道6号線から北小金井に入る道路で出会ったことがあります。おもわず「すごい、きれい」と感激したことを覚えてます。

銀杏は丈夫なこともあり、都の木でもあり、東京にはたくさんの銀杏並木があります。かつて毎日通っていた浅草駅の近くにもありましたが、それほど感激はしませんでした。環境とか、道路幅とか、見る角度とか、条件がぴたりと揃わないと、なかなかお見事というわけにはいかないようです。

何かの間違いで雄雌揃うとギンナンが出来てしまい、落ちたままにしておくとすごい悪臭を放ちますが、よくしたもので朝早くから、どこからともなく拾いに来る人がいて綺麗にかたずいています。

 

 

   その115  10/3

最高気温が28度という、最近にしては暑い日・・・・・

信濃町から青山まで、一気に散歩しました。

JR信濃町駅から佐藤美術館の第22回奨学生美術展、アートコンプレックスセンターのINTRO-コレクター山本冬彦が選ぶ若手作家展ーをみて、神宮外苑を廻り銀杏並木を通って、青山の伊藤忠本社シーアイプラザで行われている空想美術大賞展をのぞき、地下鉄で京橋に出て、ユマニテで富田さんの作品を受け取り、椿で呉亜紗さんの個展の結果をチェックして帰りました。

信濃町・青山の各展示は3つとも若手作家のもので、図らずも山本さんの推薦コースになりましたが、案内をいただいた作家も含め10名位の注目できる作家の作品を見ることが出来ました。

呉亜紗さんの個展では、そこそこ売れていましたが、やはりこの時期この値段ではかなり厳しいという実感でした。

20万を超す作品はなかなか売約とはいきません。小品で一桁というのが売れ筋です。それも出来のいいものだけに限られます。

これでは作家さんは、なかなか生活できませんが、これが現在の経済状況であり、美術業界の現状です。

 

 

   その114  9/30

先日の、東京新聞『つれづれ』蘭にシンガーソングライター、小説家のさだまさしさんの、「東京五輪 再び」という文章が載っていました。要約すると

前回1964年の時 日本人はとにかく勤勉で誠実で、本当の意味での「おもてなし」の真心に満ちていた。

国民はただ一途愚直に働くことだけが幸せへの道のりだと信じ、高度成長、一等国へと、まさに一丸となって「国のために」頑張った時代だった。

あれから半世紀。残念ながら日本はすっかり変わってしまった。祝日はご都合で何の意味のない日に変えられ、日本人は三日に一度は休んでいる。国民の「労働意欲」はそがれ、やがて本当にサボり癖がついた。

自分の欲と現実とを見極めながら「自分相応の品物」へ少しずつステップアップする、という「夢」や「希望」まで失った。

あれも欲しいこれも欲しい、遊びたい。他人のことには無関心。自分だけがかわいい利己主義。働かずに儲ける事ばかり考えるから人間が下品になる。だから下品な商売が当たり、金持ち、というだけで憧れる。

「おもてなし」の質とは、「人に喜んでもらう幸せ」のこと。つまり、相手の心に添う心遣いを喜びと感ずる「愛」の別名。利己主義からは決して生まれない。

2020年の東京オリンピックが日本人の心に火をつけてくれ、再び「親切で勤勉な」国民に戻ってくれたらこんなにうれしいことはない。

 

私の、常々感じていたことと、まったく同じでしたので引用させていただきました。

オリンピックは、きっと成功し、経済にもそれなりに寄与することでしょう。

でも「おもてなし」が一過性のものであってはさみしいことです。日本人の心が豊かで、親切で勤勉な国民になれたら素晴らしいことです。

 

 

   その113  9/21

呉亜沙展の初日なので、レッスンの帰り、ピンポイントでギャラリー椿に寄ってきました。会場は結構盛況で、小品には赤ピンもいくつかついていました。

4年ぶりの個展で、その間子供も二人出産し、お母さんの実家の岩手は3.11の震災の被害が大きかったとか・・・激変の4年間だったそうです。

その間、時々作品も見ていましたが、内容的にも易しくなり甘くなったように感じ心配していました。大きな会場は大作から小品までバラエティにとみ、テーマは震災からの復興と子供が主でしたが、まずまずのまとまりで安心しました。

一時はあまり描けなくなったこともあったようですが、会期前の集中ぶりはすごかったそうです。震災後の荒れ地に、たくましく育つ雑草のたくましさに感銘を受け方向を見つけられる結果になったとのことです。

これまでの例ですと、女性は結婚、出産により作品がやさしくなると共に質的にも甘くなり、いつの間にか潰れていくことが多かったので、これだけの作品をまとめてきたのに感心しました。

逆にこの頃は、30~40代の男性作家の方が、生活の重荷に押しつぶされ、別の仕事を持たざるをえなくなり、そのまま制作意欲をなくして消えていく例が多くなったとの落ちになり、さみしい気持ちになりました。

画家が生活の心配をせずに制作に没頭できる時代に早く戻れることを願うばかりです。

 

 

   その112  9/20

絵と花を見るために、鎌倉まで行ってきました。

神奈川近代美術館で行われている、加納光於展のチケットをいただいたので、鎌倉の寺に咲く秋の花の見学も兼ね出かけました。

加納先生は、小柄な体にもかかわらずスケールの大きいエネルギッシュな創作意欲満点の作家です。最近は、あまりお目にかかっていませんが、すでに80歳とのことです。

今回のテーマである色のほかに、1950~60年代のモノクロ作品の出品も多く、世界で活躍した日本人版画家のパイオニアである先生の素晴らしさに、改めて感心しました。

バブル崩壊後の主力画廊の閉鎖時に、作品が市場にあふれ出たこともあり、いまだに不当に低い評価(価格的に)に甘んじているのは残念なことです。

花は東慶寺の庭を中心に、鎌倉の自然の中で適度に手入れされた、秋の可憐な花たちを堪能してきました。紅白の萩をはじめ彼岸花、フジバカマ、女郎花、秋明菊、その他芙蓉やススキ、たで、紫式部などたくさんの花を見ることが出来ました。

 

 

 

   その111  9/19

今日は中秋の名月、いわゆる15夜のお月見です。旧暦でいうところの8月15日です。今年の15夜はまん丸の月が見られるようです。

日本は明治5年まで、月の動きによりひと月を決め、太陽の動きにより一年を調整するという太陽太陰暦(旧暦、太陰暦)を採用していましたが、それ以後外国と合わせるなどの理由で、明治政府により太陽暦に変更されました。

お節句などの日本の行事や文化は、月の動きをもとにした太陰暦により決められており、現在の太陽暦によるカレンダーにはそぐわない部分も多々あると思います。

池坊最大の花展である旧七夕会も、もともとは旧暦の7月7日に行われていたものが、諸々の事情により現在11月に行われるように変化してきました。

私の小さい頃、お月見には縁側に台を出し、瓶にすすき(尾花)を挿し、月見団子を15個、栗や柿などの秋の味覚をお供えし、月を見上げていたのを覚えています。

今日では、都市化や住宅事情、生活の変化などもあり、お月見の行事も限られたところでしか見ることが出来ませんが、新暦になって、15夜が15日でないことも、忘れられがちになる原因のひとつではないでしょうか。

 

 

   その110  9/18

用事があり、墨田区役所に行ってきました。

錦糸町から、大横川親水公園をとおり駒形へ、銀行と、区役所により、浅草雷門の観光文化センターの展望デッキからスカイツリーを眺め、スカイツリー経由のバスで新小岩まで帰ってきました。

墨田区役所のある一角は、昔はアサヒビールの工場があり、吾妻橋よりの角には併設のビアホールがありました。片手で持つには大変な特大ジョッキの生ビールと冬は、これまた大きなバーベキューの串焼きが売り物でした。椅子に座り炉辺に片足をかけ飲むビールは、こんなにたくさんどこに入ったのだろうと驚くほど飲み心地の良いものでした。

工場閉鎖後、一角は全部墨田区に売却されたのですが、その後、スーパードライの大ヒットで絶好調になったアサヒビールは、売却した土地の一部を買い戻して、あの有名な金のヘンテコなオブジェとビールの泡の乗った本社ビルを建てたのです。

おかげで墨田区は何もせずに、ただ売って頂いた土地を一部お返ししただけで、大儲けをしたという話です。

恐るべきスーパードライの大ヒット、数の力のすごさは今日のネット社会をはじめあらゆるところで発揮されています。

 

 

   その109  9/18

夏の間、先枯れ状態だった木々が生き生きとしてきました。

台風18号はあちこちに被害をもたらし、私のよくいく京都でも大きな被害が出たようです。地下のお花屋さんは大丈夫だったかななどと心配もしました。

最近の異常気象はともかくとして、台風は人間にとって被害をもたらすだけではなく恵も与えてくれます。

庭と言えるほどのものもない家ですが、玄関周りに置かれた鉢植えの草木も台風一過、夏の暑さや、虫におかされた痛々しい状態から、青々と生気を取り戻しました。

農耕を主体としていた日本民族は、自然の災害に耐えながら作物を育て生活を営んできました。

草木もまた、自然の風雪に耐えて美しい姿を保ち、綺麗な花を咲かせます。人間は逃げることが出来ますが、植物はその場で、じっと耐え続けています。

私たち華道人は、この草木の営みを慈しみ、感謝しつつ花を生けていかなければいけないと思います。  花の心を大切に・・・・・

 

 

   その108  9/17

生け花の特別講習会を受講しました。

池坊は支部を単位に活動が行われています。各支部は特別会員である引立教授者とそのお弟子さんたちで構成されており、今日は、年一回行われる、特別会員のための講習会でした。

今年のテーマは「立花入門カリキュラムのステップ3」木草挿交立花でした。2011年に発表されたステップ1.2.に続くもので、立花の基本の完成ともいえるものです。

大先生方も含め基本に返って、家元派遣講師の指導を受けます。午後の実習では、講師曰く、初心者の気持になって立ててくださいとのこと・・・・

水際、役枝の出、方向、大きさなど基本をきっちりと確認しました。当代の立花正風体は新風体も含め立花の基本となるものです。守・破・離といいますが、まずは基本をきちんと理解することが必要です。

講師からは職位(お免状)の大切さ、職位に合った内容、上に導いていくことの重要性などが話されました。

 

 

   その107  9/11

早目に家を出て、10軒以上の画廊散歩をしました。

若い頃は、毎週のように15軒ほどの画廊まわりをしていましたが、本当に久しぶりです。酷暑の夏は2~3軒でお茶を濁していました。

春の頃から行きたいと思っていた、茅場町の第2井上ビルをスタートに八丁堀、日本橋から京橋、銀座を通り新橋まで・・・間違いなく1万歩は歩いたと思いますが、しのぎやすい日とはいえ、最高気温が30度近くまで上がっており、汗をかかないようにゆっくり歩くのが多かったので、どの程度の運動になったかは疑問です。

第二井上ビルは思っていたよりも小奇麗に整備されており、レトロ観はありましたが、基本的にはオフィスビルに使われているとのことでした。

茅場町や八丁堀の裏道にはしもた屋風の家や、古い石造りの建物も見かけ、銀座の裏道(?)もそうですが、親しみやすいところも多く見かけます。

新大橋通りの舗道には、紅白の芙蓉の花が交互に咲いており、思わず足を止めて見とれてしまいました。

今日は、何故か座るところに恵まれず、5時間も歩き通しというか立ちっぱなしでした。最後の画廊でやっと椅子にありつき、作家を中心とした芸大のミニ同窓会の輪に入り、ワインをいただきながら、芸大の裏話などをお聞きしました。

みんな、今は亡き有元利夫や私とも同じ世代の方ばかりでしたので、なんとなく話も理解でき、楽しい時間を過ごすことが出来ました。

 

 

   その106  9/10

お茶の水で迷子になってしまいました。

東京で活動する池坊人にとっては、ホームグランドともいえるお茶の水で道に迷い、方向感覚もわからなくなってしまったのです。まさに駿河台の山の中をさ迷い歩いた(笑い)といった感じでした。

芳野太一さんから久しぶりの案内状をいただき、f分の1という初めての画廊に行ってきました。

仕事を早めに切り上げて、夜のレッスンまでの間、余裕を持って出かけました。時々食事をしたこともある山の上ホテルのすぐ先ということもあり、すぐ見つかるはずと、明大の先を回り込み初めての道を行こうとしたのですが・・・・・

明大の先は、すぐ駿河台下という感じで、完全にいきすぎです。右、右とまがっていけばたどり着くと思ったのですが方向が解らなくなってしまい、やっと出たのは水道橋に近い坂の下でした。

気を取り直して、急な坂を上り池坊お茶ノ水学院の前を過ぎ、お茶美の向かいを入って3分ほどで、やっと画廊にたどり着きました。もう汗だくです。

最初からお茶美の方向からのコースをを選んでいれば、5分ほどで着いたところです。

画廊では作品を一通り見ていると、画廊のご主人が声をかけてくださり、作家の先生もいらっしゃいましたが、汗も引かず、早々に退散しました。

先日の加畑さんもそうですが、このごろ昔懐かしい?作家から、案内状がよく届きます。明日も寺田有恒さんの個展を見に行く予定をしています。

精力的な斬新で見ごたえのある作品が並んでいるとよいのですが・・・・・

 

 

   その105  9/9

今日は、かわいい受講生が2人、生け花の体験レッスンにみえました。

4歳と5歳のお二人は、鋏を持つ手も怪しげで、お母さんと共同作業という感じです。それでも1時間ほどで作品が出来上がりました。

大サービスで、ひまわりのライオンとオアシスを使って普通の自由花を生けました。なかなかの出来栄えに満足し作品と一緒に写真を撮り、大切に包装して持ち帰りました。

幼稚園児のレッスンは初めてでしたが、4歳と5歳、そして昨年から指導している小学1年生では、少しの年齢差でもだいぶ違いますが、それぞれセンスもよく将来が楽しみです。月1回でも長く続いてくれればよいのですが・・・・・

池坊でも「伝統文化子供教室」など、お子さんへの指導を強化しています。将来を担うお子さんに情操教育も含め、日本の文化を理解していただくためにも時間や労力をいとわずに頑張らなければと思います。

今日は体験デーのような様子で、お二人の前にも、若いお嬢さんの体験者もいらっしゃり、とても楽しい一日でした。

 

 

   その104  9/6

表参道ヒルズ同潤館3Fのギャラリー412で行われている、富田菜摘展「小さな森」を見てきました。京橋のギャルリー東京ユマニテでレリーフを中心に「大人の大運動会」というタイトルで行われている個展と同時開催の形をとっています。レリーフも力作ですが、廃材を使った作品も、蛙やムササビという新しい動物の立体も出てきて、なかなか見ごたえのある楽しいものでした。

調度、作家も在廊しており、会場に入るなり「おしさしぶりです。」と声をかけられてしまいました。彼女が学部の頃からの顔見知りですが、このところお会いする機会もすくなく、遠くから活躍を見守るだけでしたが、久しぶりにお会いするとすっかり大人の女性に変身という感じでした。

その仕事の内容から、展覧会やワークショウップなど、引っ張りだこの様子で大安心というところです。

表参道には、友達の慶ちゃんが住んでいたこともあり、時々行っていましたが、あらためて原宿から歩いてみると、季節や時間のせいでしょうか、一時に比べて落ち着いてきた感じがしましたが気のせいでしょうか。・・・・・

 

 

   その103  9/5

新聞に、東京都美術館で開催されている「福田美蘭展」の記事が乗っていました。名画の引用やパロディを駆使した才気あふれる画家は新たな展開を見せていると書かれていました。

現在50歳、元東京芸大助教授で日本万博の公式ポスターも手掛けた福田繁雄氏の娘さんです。

以前みた個展の印象が強烈に残っており、ネットで調べてみると、1988年ギャラリーユマニテ東京で個展をしていました。当時25歳ということになります。ちなみに私は40歳ちょこちょこでした。

大きなキャンバスに描かれた大きなテーブルからスパゲティが宙に舞い、頭の上に降りかかっている絵を覚えています。ことあるごとに、スパゲティが空を飛んでいる絵のことを話題にしたものです。

私の感覚とは少し違いがあるため、美蘭さんの作品を追いかけることはありませんでしたが、つい先日もある画廊主と絵を描き続けることがどんなに大変か、死ぬまで作家で通せるということは、それだけで大変なことなんだと話し合ったばかりだったので、この記事を見て感慨深いものがありました。

バブル崩壊後、生活のために筆を折ったり、別の仕事も始めたという話をいくつも聞いています。

 

 

   その102  9/5

8月に続き、9月に入ってもいろいろのことが起こっています。

絵の話だけでは、話題も尽きかけたので徒然の記にリニューアルした途端、書きたいことが沢山あってこまります。すべて書いていたら、まるで日記のようになってしまいそうです。

昨日、非婚外子の相続に関する判決が最高裁大法廷で出されました。民法の非婚外子の相続権が二分の一というのは憲法に違反するというものです。三権分立の日本では、司法、立法、行政の三権がお互いにけん制し合う制度となっていますが、同時に議院内閣制では立法と行政が重なっており、結果的に権力が集中されやすくなっていると思います。

 そのような中でも、最高裁大法廷の全員一致の判決は、とても重いものがあります。政府、国会は速やかに民法の規定を変えることが必要でしょう。

社会は、最小単位の家族に始まり、その集まりである地域、国、世界へと大きくなって形成されています。学生の頃、社会学の教授から『個と全の調和』が必要であるといつも言われました。

そのころに比べると、現在は最小の単位である家族を構成する個人の権利が圧倒的に強くなりました。シングルマザーなども普通のこととなりつつある今、婚外子を差別する理由はほとんど見当たらなくなり、あらゆる面で差別をなくす必要が出てきています。

これからも、ますます個人単位の社会が普通であり、その方向に進んでいくでしょう。年金や格差の問題も理解しやすくなるなります。家族のつながりや地域のコミュニティを守ることも重要なことですが、法律とは違ったところで地道な努力により作り上げることが大切です。

 

 

   その101  8/---2013

8月はいろいろ有る月です。

終戦記念日、広島、長崎の原爆記念日そして原発からの汚染水漏れ・・・

敗戦、終戦の話題は多いが、私には開戦の話題が少ないように思えてならない。どうして戦争に突入しアジア中(?)を制して、最後はアメリカのハワイまで攻撃したのか・・・その歴史的検証が少ないように思う。

もしかしたら、それはタブーなのかもしれないが・・・ある種の変な力が働いているのではとないかと思うこともある。

 

藤圭子が自殺をした。その全盛期、何の疑問もなく、彼女の唄に聞き入っていた。日本の成長期に影と宿命を背負ってすばらしい唄を聞かせてくれた人・・・精神的病を患っていたようだが・・・何と厄介な病だろう。自分の身のまわりにも多い病気だけに重い気持ちになってしまう。

わたしには、その頃とあらゆることが行きづまっているように見える今日が似ているように思えてならない。

 

先日、明日からの京都行きをひかえ、必要最小限の画廊散歩をした。

ユマニテでは会期前だったが、富田菜摘さんの個展をのぞいた。欲しい作品が3点ほどあったが、残念ながらすべて売約済みだった。奥で、ご主人の声も聞こえたが、そのまま店を後にした。

案内状をいただいた獺画廊では、特に気に入った作品もなかったのでサインだけして帰ろうとしたが、何故かペンがなかったので、作家には申し訳ないが、ここでも、そのまま失礼してしまった。

最後にギャラリー椿により、先日のオークションの作品処理の確認をし、整理のごたごた中にも関わらず、ご主人としばらく話して帰ってきました。

 

アメリカがシリアに軍事介入する公算が大きくなってきました。

何十年も前、「アメリカよ・・・お前は世界の警察か”」なんて、怒りにも似た感情を持った若者も多かったのを覚えています。

自由主義、資本主義、民主主義が当たり前のこととなり、誰も疑いを持たず、いつの間にかアメリカが世界の盟主のような存在で、日本はそのお先棒を担ぐことが危惧される時代になってしまいました。

 アメリカが軍事介入し、シリアが反撃をしたらどうなるのでしょう。アメリカが自身の体面を保つだけで首尾よく終わるのでしょうか?

内政不干渉という言葉を昔はよく聞きましたが、今はどこかに行ってしまったのでしょうか。

 

昨日、京都から帰ってきました。今年の懇親会(クラス会)は、鴨川の川床料理でした。五条大橋からのカメラワークもよく、たびたびテレビにも出てくる料亭です。今朝もテレビで、山村紅葉さんが座っていたという席でしたが、何故か出てきた料理はフレンチでした。隣の料亭は、懐石料理のとてもおいしいという、地元の人のお話でしたが、30人というまとまった席は取れなかったそうです。

お花は、七夕七種が課題で私はその他に、二代専好のおばけ鶏頭の直真の立花を制作しました。伸びやかで当意即妙・自由でバランスの良い専好の立花が大好きです。

作品も出来上って、取り壊し始めた頃、外国の方が見学にいらっしゃいますのでしばらく待ってくださいとの連絡が入りました。

立花、生花を見た数十人のアメリカ、カナダの方たちの感想は「いつも花を入れただけのアレンジを見ているのでとても素晴らしかった。」「メカニックなバランスの良さに感心した」などというものでした。

 

今日はとても暑い日でしたが、2軒だけ画廊に行きました。

最近のゲリラ豪雨による地下への浸水や、高層ビルの増加による風の変化など、画廊談義に花を咲かせていると、絵を見ていた若い女性から、「都市計画の勉強をしているのですがお話を聞かせてください」ということになり、これまでの日本の開発の様子。問題点、少子高齢化の現在、あるいはその後を見つめて、都市や地方はどのように開発していくのがよいか。大切なコミニティを守り、より強固な社会を築いていくにはどうしたらよいかなど、久しぶりに天下国家のことを論じる機会に恵まれました。

大学一年生という彼女も素朴に、今日の社会に疑問を感じているようでした。

 

2013/8/31